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467件の内、新着の記事から30件ずつ表示します。


[472] Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 9月20日(日)06時55分21秒   通報   返信・引用   編集済 > No.471[元記事へ]

管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。

> 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
>
 お気を付けていってらっしゃいませ^^。
(先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。

 北海道のチャシ(跡): はじめて知りました。戦いのためにも使われていたとのようですが、わたし素人は、薬石探しに列島に来た「徐福と武人集団」が、なぜ北海道の内陸に侵入痕跡がないのか? を思っていましたが、その理由の一つとして、アイヌの人達は天地のすべてを神体としており神域をおかすものへの強い抵抗と、熊と共存しゲリラ戦(ベトナム戦)を得意とする人達。専門家の多くは徐福は列島支配の目的ありとみているようですが、私はそうは思いません。徐福達は列島の植民地化が目的ではなく「不老不死の薬石探し」が大きな目的。もし、それを違えて「安穏な列島暮らし」が始皇帝の耳に入ろうものなら、十万二十万の大軍を繰り出され、たちまちのうち殲滅されるかの恐れがあります。それに北海道の地は広大な中国にも似ています。激戦をしてまで「珍薬探索の要無し」との結をだし太平洋岸を周り、岩手あたりまで南下したのではないでしょうか。遮光面土器、なまはげ、蕨手刃、金色堂の童子を連れた釈迦仏画等はそのなごりと推んでいます。
 史記に「徐福は広大な州の王となった?」とあるようですが、これはあくまで中国本土の人がその伝聞を記したものであり、事実かどうかは分かりません。先没した始皇帝の暴君性の“トラウマ薄れ”への結果としてそのようになったかも知れませんが、「神仙の列島に仙薬あり」を信じて出帆した徐福には、定住性はなく生涯がサバイバル!! どの地ではてたかは分かりません~~!

 北海道の地名に「空知、美唄、忍路」があります。
わたし素人探偵は、四千年前の天空を血色の巨大塊が、ビリバリの衝撃波と音をだし、恐ろしい路を松前のほうに飛んでいったとの地名伝言だとしています^^!。

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[471] Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 9月19日(土)23時47分46秒   通報   返信・引用 > No.470[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 水月湖、興味深いですね!7万年前まで調べれるならば、最近の隕石衝突の地層も特定できそうなものですね。
> ただ、その水月湖の近場の隕石のそれですね。
>
>  私が水月湖の年縞に期待しているのは、小天体衝突の飛散物等の直接的証拠ではなくて、間接的な証拠です。年縞のなかの<葉っぱの14C>を調べることによってその年縞が何時になったか分るそうです。
> >『また、年縞に含まれる花粉や火山灰などを分析することで、過去の気候と地球環境も解読できる。さらに春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬によって異なる堆積物が残されており、年縞を使えば縄文人の生活を1年ごとに知ることができる』
> https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=1
>
>  7万年もの間の物差しですからその判別には膨大な量の調査と時間が予想されます。私たちが思う大きさの小天体の衝突が、陸部であれば必ず「隕石の冬」を伴わなければなりません。その時の気温の降下が大きければ大きいほど年縞の間隔や変わり目が顕著に現れます。温暖期が長く続いて “急に” 寒冷期になっていれば場所の特定はできませんが「その時」に小天体の衝突があったと判別できます。
>  例えば、これを逆にとらえて自分の提唱する4000年前や、先さまの云われている1万2千前に、そのような年縞の変移があり、ボーリング柱に<寒冷期の葉っぱ>でも捕まれば、つよい状況証拠となります。近場で直接的のものでは中国と北朝鮮の国境にある白頭山(活火山)の火山灰が確認できているそうです。
>

火山灰の件は重要ですね。先ほど読んでいたアイヌ文化のチャシの特定にも火山灰地層の件が記されていました。有史の火山灰をみれば、かなりの正確さで年代を推定できそうですが、それ以前のものを正確に測るうえでも水月湖の地層解析は重要ですね。


>  惑星や衛星の運行についての情報ありがとうございました。それには色々な法則や作用があるのですね。素人にはそのすべては理解しえないですが、その衝突は太陽系のようにできあがった形では小さいものは別として、隕石の冬を伴うほどの大きさのものが、太陽なり地球の周回軌道に入るまえに捕まえなければ、取り逃がしてしまうのではないかと思っています。つまり半周以上の周回では捕まえるのが難しいのではないかの考えをもっています。惑星や衛星の軌道をみだすものとして重力の大きい木星の影響力をきいたことがありますが、(北海道クレーターが)地球の傾きに近いものの衝突角であれば、月の重力が関係する時を考えねばならないのですね。月のことはまったく考えの内にありませんでした(汗~)。ありがとうございました。
>


地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!



[470] Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 9月17日(木)08時07分31秒   通報   返信・引用   編集済

管理人さまへのお返事です。コメント&情報ありがとうございます。

> 水月湖、興味深いですね!7万年前まで調べれるならば、最近の隕石衝突の地層も特定できそうなものですね。
ただ、その水月湖の近場の隕石のそれですね。

 私が水月湖の年縞に期待しているのは、小天体衝突の飛散物等の直接的証拠ではなくて、間接的な証拠です。年縞のなかの<葉っぱの14C>を調べることによってその年縞が何時になったか分るそうです。
>『また、年縞に含まれる花粉や火山灰などを分析することで、過去の気候と地球環境も解読できる。さらに春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬によって異なる堆積物が残されており、年縞を使えば縄文人の生活を1年ごとに知ることができる』
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=1

 7万年もの間の物差しですからその判別には膨大な量の調査と時間が予想されます。私たちが思う大きさの小天体の衝突が、陸部であれば必ず「隕石の冬」を伴わなければなりません。その時の気温の降下が大きければ大きいほど年縞の間隔や変わり目が顕著に現れます。温暖期が長く続いて “急に” 寒冷期になっていれば場所の特定はできませんが「その時」に小天体の衝突があったと判別できます。
 例えば、これを逆にとらえて自分の提唱する4000年前や、先さまの云われている1万2千前に、そのような年縞の変移があり、ボーリング柱に<寒冷期の葉っぱ>でも捕まれば、つよい状況証拠となります。近場で直接的のものでは中国と北朝鮮の国境にある白頭山(活火山)の火山灰が確認できているそうです。

 惑星や衛星の運行についての情報ありがとうございました。それには色々な法則や作用があるのですね。素人にはそのすべては理解しえないですが、その衝突は太陽系のようにできあがった形では小さいものは別として、隕石の冬を伴うほどの大きさのものが、太陽なり地球の周回軌道に入るまえに捕まえなければ、取り逃がしてしまうのではないかと思っています。つまり半周以上の周回では捕まえるのが難しいのではないかの考えをもっています。惑星や衛星の軌道をみだすものとして重力の大きい木星の影響力をきいたことがありますが、(北海道クレーターが)地球の傾きに近いものの衝突角であれば、月の重力が関係する時を考えねばならないのですね。月のことはまったく考えの内にありませんでした(汗~)。ありがとうございました。

> この辺、もう少しわかりやすく図にしたように感じますが、下記のグーグルマップを拡大していくと地球の球形がでてきますので、その地球を回していくと、その原理がわかるかと思います。お試しください!
>
> https://www.google.co.jp/maps/@43.5640934,147.0720686,6z/data=!5m1!1e4?hl=ja

上記のURL、わたしのPCではエラーがでて捕まえられませんでした^^!.
 尚,Google Earthは、インストールしていますが、いぜんと違って北への方位修正ができなくなり、とても使いづらくなりました^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



[469] 小天体と隕石群の周回・落下方向

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 9月14日(月)02時18分49秒   通報   返信・引用   編集済 > No.468[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
> Yahoo!(9/8(火) 10:06配信) ビッグニュース ありました!!
> 「福井県の水月湖底」の年縞(ねんこう:年輪のようなもの)
> https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=2
> 年縞が過去7万年にわたり途切れずに1年刻みで残っている湖沼は、世界でもここにしかない。

>
>

水月湖、興味深いですね!7万年前まで調べれるならば、最近の隕石衝突の地層も特定できそうなものですね。


ただ、その水月湖の近場の隕石のそれですね。

私のほうでは、釧路の厚岸湾に注目しているんですが、ここの地層のはじまりが1万2千年前なんです。そのころに、厚岸湾を造った隕石落下があったと思うんですね。ヤンガードリアス期をもたらした隕石群の一部が、北海道にも落下していたという推理です。

厚岸湾とライン関係にあるのが、先日お知らせした道東の隕石落下ルート群の図1です。


図からいくと、厚岸湾⇔大雪湖、釧路港⇔糠平湖、浜中湾⇔阿寒湖、風連湖⇔摩周湖⇔屈斜路湖ラインあたりが同偏角なので、同じ時代にできた可能性を感じますが、ただ、大雪湖と糠平湖は人造なので、盆地としてとらえてみて、クレーターと考えうるかどうかの問題もありますね。

そして同時代の造営ならば、地球周回とともに、等間隔の正確なラインとなるはずなのですが、浜中湾⇔阿寒湖ラインはやや狭いんですよね。

そこで、また以前やったように、グーグルマップの地形図を利用すると、図2のようになります。

ここで、さらに詳しいクレーター地形がみえてくるのですが、あとで整理してみるとして、ここで一つ考えうることとしては、図の分度器を見てもわかるように、東偏角と西偏角の2種の21~2度前後のラインが見えてくることがありますね。

つまり前述の厚岸湾などの西22度偏角のラインとは別に、以前指摘した洞爺湖⇔支笏湖⇔屈斜路湖の東22度偏角のラインが図のように表れてくるわけです。


21~23度偏角はつまり地球の地軸角であり、太陽系平面から隕石群をもたらす小天体が接近してきたことを意味するのですが、なぜ東西の2種の偏角のラインがみえてくるかについて考えていくと、たぶん、小天体群が地球に接近する際に、地球に対して左回りと右回りの2つに分かれて周回しながら一点に落下していったことに由来するのではないでしょうか。

つまり、小天体は地球接近時にすでに複数に分裂しており、それらが群となって、地球の左右から接近していきさらにロシュ引力で分裂しながら隕石をライン上に落下させていったので、それによってつくられるクレーター状地形も2種に分かれるのではないでしょうか。

その落下イメージは、こちらのシュレーメイカー彗星の回転する木星への落下シーンに近いものでしょう。木星の一地点へと若干の周回を繰り返しながら分裂して落下していきます。図3はそのスクリーンショット。
https://www.youtube.com/watch?v=Jx5FEF3nVNI&t=19s


仮にそうだとすると、北海道のこれらの湖や盆地、島地等の生成はほぼ同時期となるわけですね・・。その時期のひとつとして1万2千年前があるのでしょう。

この辺、もう少しわかりやすく図にしたように感じますが、下記のグーグルマップを拡大していくと地球の球形がでてきますので、その地球を回していくと、その原理がわかるかと思います。お試しください!

https://www.google.co.jp/maps/@43.5640934,147.0720686,6z/data=!5m1!1e4?hl=ja



[468] 福井県の水月湖底の年縞!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 9月13日(日)06時13分2秒   通報   返信・引用   編集済

管理人さまへのお返事です。

コメントありがとうございます^^。
・・・、クレーターについて色々に考えているのですが、中々まとまりません~~!

Yahoo!(9/8(火) 10:06配信) ビッグニュース ありました!!
「福井県の水月湖底」の年縞(ねんこう:年輪のようなもの)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=2
年縞が過去7万年にわたり途切れずに1年刻みで残っている湖沼は、世界でもここにしかない。


サンデー毎日×エコノミスト
(本誌初出 「地球の古文書」の年縞 7万年を刻んだ水月湖の「奇跡」/15 20200825)
 ■人物略歴
鎌田浩毅 かまた・ひろき 京都大学大学院人間・環境学研究科教授

 ドキドキします・・・・^^、
取りあえず(私が)知りたいのは、岩淵先生と二人でやっている「東北釜石:巨大隕石」です。この落下日をBC.2001/12/25.am6:00頃(日の出前)と推んでいますから、その年縞に何かの異変が刻まれていれば大正解^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html




[467] Re: 道東クレーターライン

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 9月11日(金)00時44分23秒   通報   返信・引用 > No.466[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>  北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。
>
>

平さんもお元気そうでなによりです!また今年こそはどこかでお会いしたいですね・・・。
秋に雪が降る前に昨年見逃した東北の遺跡を巡りたいと考えてます。

確かに、北海道・東北のクレータ湖?の多さには特徴がありますね。

以前は、その小天体群?は地球を半周しなかったと平さん同様に考えていたのですが、再度昨年考えなおして、中には数十周したものもあっただろうと予想します。

結果として等間隔で南へとずれていく先日のラインが見えてくるわけです。

十数分くらいで地球を一周していたのではないでしょうか。その間に分裂を繰り返しデブリを落下させていき、そこにクレータができるわけですね。

北海道から東北に特に多く分布した原因としては、やはりその北緯あたりから小天体が侵入してきたからではないでしょうか。

赤道平面から侵入してきそうなものですが、小天体の軌道が地球の軌道平面よりやや北側にあったのかもしれませんね。

あるいは赤道方面にはちょうど月があり、その影響で多くは月に衝突して、その月にとらえられなかった小天体群が、月の影に入らない地球の高緯度地域に降り注いだことも考えうるところです。

もっと精密に各地のクレータの分布をしらべて、月の影の領域が浮かび上がってくれば、この証明はすぐ立証できるでしょう・・・。

問題は誰がその気の遠くなるような作業をやるかですね!!





[466] Re: 道東クレーターライン

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 9月 8日(火)05時28分31秒   通報   返信・引用   編集済 > No.464[元記事へ]

管理人さまへのお返事です。
 ご無沙汰いたしております。お元気なごようすなによりです^^。

>
> 摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

 北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。

 ご調査・ご思考を楽しみにしています。



[465] 道東クレーターライン

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 9月 6日(日)00時33分39秒   通報   返信・引用   編集済

ちょっと道東へ出かける前に、以前こちらでも分析した北海道のクレーター推定地・湖を結ぶラインを再確認してみたいと思います。

図1がそのラインですが、一番上のラインは25度偏角で、他は21~2度偏角のラインとなります。

具体的には北からみていくと、利尻島⇔サロマ湖⇔能取湖⇔野付湾に至るラインがあり、この南に屈斜路湖⇔摩周湖⇔風連湖のラインがあり、その南に阿寒湖⇔浜中湾のライン、その南に大雪湖⇔厚岸湾のライン、その南に留萌沖⇔糠平湖⇔釧路港のラインがあります。下4つはの21~2度偏角のラインなので同時期の構成となりそうですね。

このラインに沿って小天体から隕石が落下していったので、このライン上に湖や盆地、湾が生じていったと考える次第です。

その22度というのが地球の地軸角であり、つまり太陽系平面から侵入してきた小天体による隕石落下を意味していると考えうるわけですが、その年代については、最近のニュースで8億年前に月や地球に大量の隕石落下があったことが確認されたとありますから、その年代も考慮しておく必要があるでしょう。こちらのニュース記事をご参照ください。
https://www.afpbb.com/articles/-/3295143

ただ地軸偏角は年代によって21度~25度前後まで周期変動するので、上記のように一番北のラインの年代とほかのライン年代とは異なっている可能性が出てきます。

厚岸湾の地層年代からみて1万2~3000年前あたりに上記の下4つのラインができたのではないかと感じますけどね。

その小天体とそこから剥がれ落ちる隕石のサイズ次第で、その落下にともなうクレーター、つまり湖や湾、盆地のサイズも異なってくるわけです。

そして、その周囲の地形がどうなっているかをひとつひとつ確認していきたいところですが、平さんご指摘の炭田の件ですね、この辺についても調べれればと感じてます!



[464] Re: 北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 9月 5日(土)21時54分9秒   通報   返信・引用 > No.463[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)
>
>   日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
> https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/61_07_02.pdf#page=1&zoom=auto,-150,721
>
>


平さん、ご無沙汰してます!
北海道の炭田、気になるところですね。今月は道東に向かう予定なので、その辺の情報も仕入れてみたいと思います。

摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!



[463] 北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 9月 5日(土)04時26分37秒   通報   返信・引用   編集済

 この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)

  日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/61_07_02.pdf#page=1&zoom=auto,-150,721

  油田・油井の発見は、臭水(クソウズ)であったり、自噴したり、石油ガスの匂いがしたりがきっかけのようですが、国土地理院の地勢図・等高線に重ね合わせてみると、各代・各々の巨大津波が運んだ「未だ見ぬ」動植物の遺骸の油分が見えてくるかもしれませんね(^-^)。あっ、それから巨大隕石落下後の「隕石の冬」が引き起こす海進・海退も考え合わせねばなりません。そこは昔は海だったと云わないためにも・・・つづく(^-~)。



[462] 将(=石油)を射んとする者はまず馬(石炭)を射よ

投稿者: 机上探偵: 平 素人 投稿日:2020年 9月 2日(水)04時07分18秒   通報   返信・引用   編集済

終活の一環として(^-^!) ミッション:北海道の未掘の油田を捜す^~!
   すみません。前の投稿から随分あいてしまいました。・・、

高橋良平氏<石炭層の生成と変遷> 1978/11/16受理、の論文をよんているのてすが、
  https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

  以下のような情報を収集しています。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
一定の順序で堆積した堆積物の一系列の変化。しばしば周期的に繰り返される。陸源物質では礫岩,砂岩,泥岩の一系列が最も多い堆積輪廻で,その原因には海水準の変化(海進),地殻変動(沈降),気候変化などがある。泥岩,砂岩,礫岩の堆積輪廻では逆に海退,隆起などが原因となる。化学的堆積物の堆積輪廻は石灰岩,石膏,岩塩の順に重なる例がドイツ盆地の上部ペルム系の苦灰統(Zechstein)に認められ,浅海から乾燥した内陸盆地への環境変化が認められる。
一般的には,地下数百mに泥炭が沈下してはじめて温度も数十度のオーダーになりうるので,

元来,堆積した植物質が泥炭となるためには著しい容積の減少があり,さらに泥炭から石炭になるまでには1/17~1/20の容積減少があるとされているので,

坂倉は,石炭層の厚さが水平方向で容易に変化したり,石炭を含む一連の地層(夾炭層)が,繰り返しリズミカルな堆積様式を示すことなどによって日本の第三紀炭は原地で生育した植物群をその原料にしたと主張している2)。

石炭層の生成と変遷(高橋)103に大きな特徴がある。生成年代の新旧をとわず世界の夾炭層の大半がこのサイクリックな岩層の連なりを示すことが知られ,ーサイクルを示す堆積物はサイクロセム(Cyclothem)と呼んでいるが,その典型的なものは北米の内陸炭田や,ヨーロッパ西北部の夾炭層に認められ石炭の形成過程・堆積環境などを明らかにするために数多くの研究が行なわれてきた。イリノイ,カソサス州の古生代炭田の場合には,砂岩~礫岩がサイクロセムの最下層をなし,上部にむかって次第に細粒となって淡水性の頁岩層,耐火粘土層,石炭層となり,さらにその上盤側に黒色の頁岩,石灰岩の薄層,海成の頁岩が重なるものである。カソサス州を中心とする炭田の上部ペソシルバニア紀に属するWabaunsee層は全層厚約120mの夾炭地層であるが,6~15mの厚さをもつサイクロセムが13個識別され,400~500kmもの遠距離にわたって追跡されている。    ・・・以上・・□
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<前振り>
 6500万年前の南極から発した巨大津波は、地球の90%以上を覆い地表生物のほとんどを北に向けて押し流しました(一図)。そして、濁泥とともに運ばれた動植物の多くは地中に埋って石炭や石油になりました。「巨大隕石の衝突」による大津波の発生でなった石炭石油はこの時だけではありませんが、なにしろ南極大陸そのものが衝突惑星(自論)ですから、今までの科学、人知を絶するものがあります。その詳しくは、拙著の「巨大隕石と大津波」で述べていますが、今は絶版となっています。その主なものをあげますと、南極大陸塊が押しのけた海水の増位で約200m没の大陸棚ができた。主要な島は北に向けて流されている(二図)。その衝突合体は地球を下膨れの洋ナシ形にし、地軸を傾??け、アイスランドやデカン高原を噴出し、北極海海底に対蹠地形のアルファー海嶺や〇〇海盆を造っている(別紙)。このような大惨事のなかで恐竜や海生物や植物は巨大津波によって流され集められ土中に埋もれ石炭や石油となっているとするのが自論です。

< 思 考 ??>
「新旧各々の地の石炭の生成年代の決定について・・・、」
 この件は、(地表の植生をうがす)巨大津波を伴うほどの“巨大天体の落下は”各代にあると思われるので一概にはいえません。
「砂岩~礫岩がサイクロセムの最下層をなし,上部にむかって次第に細粒となって・・」
 その時、起こる津波は一波だけではなくて何波もおこるであろうから、上層にいくにしたがって細粒になると思われます。
「淡水性の頁岩層,耐火粘土層,石炭層となり,・・」
 海で発生した巨大津波が陸上に上がり前方に巨大湖があれば、その淡水が前方の植生を押し流すことになります。
「粘土層」になるほどの細粒は、
 津波の行きついた先端部・下流域の様相であり、津波が落ち着いて濁泥が沈殿したときも同様と思います。
「さらにその上盤側に黒色の頁岩,石灰岩の薄層,海成の頁岩が重なるものである」
「黒色の頁岩」について、
 この件は、さして難しい問題ではありません。巨大隕石で発生する津波は、それによって発生した火災や粉塵をも運ぶからです。中国の端渓の硯がそれかと思っています。
「石灰岩の薄層,海成の頁岩が重なるもの」
 石灰岩の件は、ドーバー海峡岸や、秋吉台のように貝性類が津波で運ばれたとしています。要は津波の上流部に何があるかによってそれぞれの堆積物は変わってきます。したがって、列島の筑豊炭田と釧路炭田の成分の違いにあるのではないでしょうか。
「その他に・・」
琥珀があります。これは、生木が津波で “大量に” 運ばれたとき、表皮が擦れ合いはがされ樹脂が流れ出たとしています。

★★ 自分(巨大隕石、巨大津波説)的に説けていないことがあります。
『カソサス州を中心とする炭田の上部ペソシルバニア紀に属するWabaunsee層は全層厚約120mの夾炭地層であるが,6~15mの厚さをもつサイクロセムが13個識別され,・・』
 「全層厚約120mの夾炭地層」については、想定をはるかに越えていますが、南極大陸が巨大隕石だったとすれば、頷けないでもありませんが・・・、

『サイクロセムが13個識別・・』
  この件が一番の難題です!! 以前のわたしは、石炭層は一つの塊となって堆積していると思っていたのですが、そうではなくて、オーストラリアの炭田や北海道( 大露頭)のように、薄いサイクロセム状(サイクル性)になっていることでした。これは、地形や緯度によってもその地へ届く津波の波数は異なりますが<13波もの津波の発生>を説明できなくてはなりません。(注: 後続波によるものか、時期をたがえての堆積したものかの違い)
もっとも、地球を洋ナシ形にしたり、地殻を数枚にひび割れさせた大事変ではあるのですが・・・

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



[461] Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!

投稿者: 机上探偵: 平 素人 投稿日:2020年 5月18日(月)04時23分1秒   通報   返信・引用   編集済

前回の<石炭層の生成と変遷>高橋良平氏 1978/11/16受理、の論文の
  https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf
「1.1 夾炭層の構成」で、石炭の現地成因と流木成因のふた通り説についてでは、石炭は、地球の90%を覆った「巨大津波が運んだ」ものだとしました。引き続いて素人の思いを述べていきたいと思います。

>   急がば廻れ^^! 油田を探すなら、まず石炭から・・、
石炭と石油の産地は津波成因において、似通った地域にありますが、石油成分が流動性や、浸透性があるのに対して、石炭の場合は、その浮遊性と絡み性があるために海岸の波打ち際と同様な状況で堆積していることが多く、まず石炭を調べてゆけば、石油の方も推めてくるのではと・・^^!。

<表題の高橋氏の論文よりの抜粋>
Bubnoffの分類4)にしたがうと,石炭堆積盆地は,地向斜タイプ,陸槻タイプ,大陸塊タイプの3つに大別することができる。
1.2.1 地向斜タイプの堆積盆地
・・・、イギリスのSouth Walesからベルギー,ドイツのルール,ソ連のドネツにかけて東西方向に発達した地向斜炭田群である。


 地向斜とは、地殻上に生じた帯状の沈降地域であり、石炭地のおおむねは盆地状や谷状の凹地に堆積したものであり、津波が引いてゆけば、その流木は大体がそのような場所に留まる。又、これも海岸の波打ち際で見かけることであるが2波3波の波先に、それに類するものを置いてゆくことがある。「東西方向」の詳しくは調べていませんが、筆者が北上(後に南下)したとする巨大津波に対してに(?)あるのが興味深い。

1.2.2 陸棚タイプの石炭盆地大陸縁辺部の海岸平野とこれに連なる陸棚地域に形成される炭田タイプである。
地向斜タイプの炭田に比べると沈降の程度が低いために一般に全地層厚は薄いが,植物堆積に適した条件を備えていたため石炭層自身はしばしば厚く広範囲に賦存し,多少の例外はあるが,概ね穏かな構造を示すのがその特徴である。


 これは、大陸に上陸した巨大津波は、表層の植物群を引きはがしながら進む。一部はその先端や、流れの脇域に残すが、津波が戻るとき濁泥とともに海岸部に沈降する。「一般に全地層厚は薄いが,植物堆積に適した条件を備えていたため石炭層自身はしばしば厚く広範囲に賦存し,多少の例外はあるが,概ね穏かな構造を示すのがその特徴」というように、陸棚のおおむねの地勢は濁泥土流の堆積もあるが単調であり、その炭層は「概ね穏かな構造を示す」。
ちなみに、大陸棚は、かつて陸地だった所であり『南極大陸大隕石の水没』によって海水位を上昇させたたとし、中坊程度の計算力で180mほど^^?だったかなの増位で海没したとしましたよ^^!。平頂海山・ギュヨーもね。(拙:絶版報告書)

1.2.3 大陸塊タイプの石炭盆地
・・、楯状地のような古期の岩石類からなる安定大陸塊の内陸部にも地域的にはごくゆるやかな上昇,沈降が起こり,盆地状の凹地が生じ,ここに夾炭層が堆積されたのが大陸塊タイプの炭田である。・・・、地向斜タイプの炭田に比べると被覆岩層も薄く,堆積後の地層変形も微弱で,大陸塊タイプの炭田である。しかし,石炭化は一般に進んでいて,大陸塊型炭田としては例外的な炭質であるが,その理由はまだ明らかでない。


 その炭田例は、ロシア卓状地やシベリア卓状地西南部にあり、南極から発した巨大津波の突き当り域であり、岩石や土質の多くが津波の移動中に沈んでいくのに対し、植物群は自身がもつ浮力のために遠くまで流される。それによって「地向斜タイプの炭田に比べると例外的な炭質であるが,その理由はまだ明らかでない」


「石炭化は一般に進んでいて」

これは、中坊時代に「泥炭<褐炭<無煙炭」と教わったようにその進化は“褐炭”どまりをいっている。『例外的な炭質であるが,その理由はまだ明らかでない』 石炭への炭化は、植物が地中に埋まることによって、その地熱と圧力によって炭化する。このように被覆岩層が薄い場合。地圧も地熱も小さいので炭化はしにくい。しかしながら、褐炭どまりとはいえ炭化していることが不思議なのである。ひるがえってmy報告書を思いだして欲しい。南極大陸大隕石のあとに、数ある氷期のなかでも、とくに大きい氷河期がくる。薄い被覆岩層とはいえ直接に氷と植物は接していない。その氷圧によって炭化したのである!?  しかし、これだけでは足りない気もするので、南極衝突惑星の対蹠地で北極海底へ噴出したアルファ海山(別紙)噴出の余熱でも足しておきましょうか^^!。

別談の報告ではありますが^^!
<南極に石炭の露頭あり>
 これは、漂い流れ着いた植物群が、衝突熱冷めやらぬ大陸表で蒸し焼けたとしました。
<南極大陸ほぼ中央の氷下にボストーク湖あり>
 これは、氷圧と未だに残る衝突熱によって水液化しているのでしょうかと謎解きしました。ちなみに、南極海岸には温泉が湧いている場所があるそうです。

                       To be continued^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



[460] 『坪背山』

投稿者: 青面金剛 投稿日:2020年 5月14日(木)13時29分7秒   通報   返信・引用 > No.459[元記事へ]

机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「忌部川」に、「下忌部・西忌部・東忌部」。 このように方向性が3つ以上連なると、(そのことに関して)そこに歴史という時の流れがあったと推むことができます。「忌む」とは、人が死んだ時につかう言葉。 ここに「千本」という地名があります。

☆千本つつじが丘の地名なので、つつじ千本の意味です。忌部氏は祭祀氏族で、東忌部町の東山向こうには出雲一の宮である熊野大社、西忌部町の西山向こうには玉造。神道では隠れる、と表し、勾玉は再生を意味します。神門・神戸(かんど)は神様の通り道。

 西忌部町に鎮座す忌部神社
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=6313
「平安朝に忌部神戸内鎮座の22社と合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し、其官祭を享け給えり。奈良朝以来、朝廷の御崇敬を始め累代国守の崇敬篤く、社領寄進、社殿造営、禁制社参代参あり。」


> 千木は、大量の銅鐸・銅剣を埋めた時、それに憑いた荒神を動かせないようにするための「重し」のための儀式方があったのではと疑っています。「風消し」の意味もあるのでしたら、「八雲」を抑える意味もあったのでしょうか。慈雨が、あまり暴れすぎて暴風雨になっても困ります。今でも、旧家では新築時の棟木の下に刀(刃物)を括り付けることがあるようです。さらに、略式化して竹で挟んだ何やらの紙幣をくくりつけているようですが^^?
>  今、「神戸・こうど」の地名がつくところの山畑に廃材で休憩小屋を建てているのですが、「屋根が風で飛んで人さまに、必ず迷惑をかける」と息子にしかられました。

☆NHKの番組で、強風が吹いた時に、千木は逆方向に力学的に作用し、屋根の上ずりを防ぐ、の分析が有りました。
 出雲の社は裏手に磐座が有る事が多いですが、磐座の背後から、雲が湧き出る伝承が在り、千木は、その象徴と先駆けの意味も有ります。竹も鎌も魔除けとして扱われます。


> 『坪背山の隠れ坑道を掘ったズリの探索の件』
その地の歴史を知らないわたしのようなよそ者は、そこが、さして先さまが仰っておられるほど危険な場所とは感じません。

★ 「危険な場所とは感じない」のならば、自分で行って証明して来い!!!

 息子さんが居るならば、連れてってもらい、平さんが先頭を歩き、距離を置いて息子さんが付いて行く。
 平さんが隠れ坑道に落ちたり、マムシに咬まれた時は、息子さんが助けてくれるでしょう。

※ 平さんが坪背山の現地レポートを此処に書き込むまで、この話は休止とさせて頂きます。(終)



[459] 『坪背山に隠れ坑道を掘ったズリの有無確認の件』

投稿者: 机上探偵: 平 素人 投稿日:2020年 5月14日(木)08時27分44秒   通報   返信・引用   編集済

青面金剛さまへのお返事です。

「ちなみに島根県には<千木>という地名があります、筆者はこれをその時4000年前の大津波が運んだものかと疑っています」と申し上げました。ごめんなさい。myブログで捜すと<千木>ではなくて<千本>でした。あげて下さらねば間違った思いを残すところでした。
myブログより、
「忌部川」に、「下忌部・西忌部・東忌部」。 このように方向性が3つ以上連なると、(そのことに関して)そこに歴史という時の流れがあったと推むことができます。「忌む」とは、人が死んだ時につかう言葉。 ここに「千本」という地名があります。・・・

> ☆<千木>は神社の社の屋根に付いている風消しです。千木が無いと強風時に屋根が飛び易くなります。立て削ぎが出雲神、横削ぎは物部神です。男千木と女千木で解説している本が多いですが誤りです。

ありがとう御座います。「千木」は風消しの意味もあったのですね。「重し」の意味だけかと思っていました。ちなみに、千木は、大量の銅鐸・銅剣を埋めた時、それに憑いた荒神を動かせないようにするための「重し」のための儀式方があったのではと疑っています。「風消し」の意味もあるのでしたら、「八雲」を抑える意味もあったのでしょうか。慈雨が、あまり暴れすぎて暴風雨になっても困ります。(笑い)今でも、旧家では新築時の棟木の下に刀(刃物)を括り付けることがあるようです。さらに、略式化して竹で挟んだ何やらの紙幣をくくりつけているようですが^^?
 今、「神戸・こうど」の地名がつくところの山畑に廃材で休憩小屋を建てているのですが、「屋根が風で飛んで人さまに、必ず迷惑をかける」と息子にしかられました。(汗~^^!)

『坪背山の隠れ坑道を掘ったズリの探索の件』
> ☆ 地図に印を付けて管理人さんに送りなさい。隠れ坑道がある危険な所はドローンしか、ありません。

 私は、そのズリの有る無しが拙論の正否を決めると申し上げました。
ずりとは、トンネルの掘削や鉱山の発掘において、発破などによって生じる岩石の屑のこと。その有無を調べるだけなのに、なぜドローンが要るのかわたしには理解できません。もし、私がいった「大文字地形」を思っておられるのでしたら、素人が推論に至った「そのズリ」があってからのこと。そのズリが無ければバカげた素人探偵の作り話ですからね。 そして、その地の歴史を知らないわたしのようなよそ者は、そこが、さして先さまが仰っておられるほど危険な場所とは感じません。(以下の山歩きを参照しました^^。写真はGoogleで坪背山より大社方面と鷺浦方面です)

 法師崎(ほうしざき)のやまある記 : 坪背山(壺背山) 引用、
https://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm
・・・(猪の目茶屋跡の)登山口から7分程度進めば尾根道へ着き、明確な登山道に合流する。この合流点付近には昔の道が北へ向かって延びているようだが、途中でこの道は消えてしまう。・・・

・・消えてしまう・・『その場所の上斜面側が(隠れ坑道入り口)で、下斜面側が祈祷場所を拡張し(ズリ)を排出したピンポイントです !! 』
 むしろ、そのことより、そこを「侵すべからざるところ」とした祖先の思いを世の人に知らせむることのほうがはるかに大事かとおもいます。それは、素人のいう「ズリ」が「あって」からのこと。「なければ」話しにもなんにもなりません。

<机上探偵の推論>
“恣意的に”入り口を塞がれている坑道の奥行は十丈。その坑道の奥へ1700年前の冬至十夜の旭光が、弥山北側の“鼻突峠のあいだ”から昇ったとき「その初光が、奥に設えた木製棚上まで射し込むように設計されている!」
この詳しくは、myブログのどこやら「カテゴリー出雲地方?」に書いたかとおもいますが、今は思いだすことができません。そして、その日差しの方向に「加茂岩倉」があるか!?とおもっていますがこれも調べていません。それよりなにより山小屋をなんとかせねば・・・^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



[458] Re: 十勝平野

投稿者: 青面金剛 投稿日:2020年 5月13日(水)13時23分54秒   通報   返信・引用 > No.457[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>ちなみに島根県には<千木>という地名があります、筆者はこれをその時4000年前の大津波が運んだものかと疑っています。

☆<千木>は神社の社の屋根に付いている風消しです。千木が無いと強風時に屋根が飛び易くなります。立て削ぎが出雲神、横削ぎは物部神です。男千木と女千木で解説している本が多いですが誤りです。

> 『坪背山探索の件』
><猪の目峠茶屋跡から散策道を7分ほど登った所から右手方の分かれ道の行き当たりに、隠れ坑道のズリありか!?>を確かめる気力が残っていません。

☆ 地図に印を付けて管理人さんに送りなさい。隠れ坑道がある危険な所はドローンしか、ありません。
 GOOGLE ストリートビューで、坪背山登山道入り口の駐車スペースを見ると、法務省の不法投棄監視システムが設置されています。ドローンのカメラに映るのは、「ズリ」で無くて、『産廃』の感じがします。

※ 一部訂正します。「駆除」では無くて「捕獲」との事です。http://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1428404284634/index.html
令和2年度出雲北山山地のシカ捕獲の実施について【森林政策課】

 出雲北山山地は、狩猟でのシカ捕獲が禁止されています。しかし、保護目標頭数より多くのシカが生息し、農林作物等の被害が発生しているため、シカの個体数を調整することを目的とした銃とわなによる捕獲を行います。期間中に入山・登山の際は鈴などの音の鳴るものを身に付け、登山道から外れないようにお願いします。
令和2年度通常捕獲期間
       第1回:4月13日(月)~ 6月30日(火)
       第2回:9月 1日(火)~ 3月14日(日)

※ イノシシは出雲北山には居なくて、出雲市南部の山沿いに居る様です。



[457] Re: 十勝平野

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 5月13日(水)04時35分33秒   通報   返信・引用   編集済 > No.456[元記事へ]

青面金剛さまへのお返事です。

 おひさしぶりです。当方にお気をとめて下さってありがとうございます。

根気や記憶の衰えを自覚し、昨年でしたか台風19号を押して一区切りとしてからは、<存命中の正否に>あまりこだわらず成り行きにまかせることにしています。

「北海道に油田あり!?」は、ずいぶん前から内に秘めていましたが、終活の一環として記しておこうかと着手したところです。・・で<高橋先生>の論文「石炭層の生成と変遷」にいきあたり少しずつ読み始めているところです^^!。

秋田県や、北海道の油田採掘はずいぶん前(大正の代?)からあったのですね。当方が知らないだけで、今では検索をつかえば、その多くを知ることができるのですね。行動力のない机上探偵としてはありがたいことです。

今の私は、先さまの意とされる事にお答えできる自信はありませんし、その情報のすべてに目をとおすには時間がかかり過ぎる難があり、スピーディにコメントできないことを済まなく思います。
気になるワードとしては、
「各々の年代の決定」があります。この年代決定には過去の30年あまり、例外ないほど自論とのくいちがいがありました。アウトレットを論じる素人には、その科学的根拠をくつがえすだけの学識はありません。
「それを決定した年代が、永久の過去から同じ場所にあり、同じような圧と温度の経過をたどり、おなじ放射線量をうけ、・・ならば、その年代決定は正しい。しかしながら、巨大隕石というビッグイベントを受け、巨大津波で混ぜ合わされ他の地へ運ばれたその検体をどのように判断したらいいのか私には判らない」と、逃げてきました。

太田市・波根西の珪化木>2000万年前の写真。とても興味があります。以前のことですが「三瓶山の大噴火。太田市に立状根化石発見3500前のもの等を「東北4000年前の巨大隕石で火山誘発、その時の津波で流された流木か?と、思っているのですが、四千年前と三千五百年前では時間があいません」としたら、岩淵先生思い当たるふしがあったのでしょうか。現地へ出向かれて「4000年前の説もありました」と教えて頂きました。その年代決定のどちらが正しいのかは私には分かりませんが、著名な人や機関の発表がそのまま定着するのでは?と思うようになりました。この掲示板でも管理人さまがタイムラグや補正値をいかにとるかの問題をあげられていましたし、東大の先生が「年代決定には、放射線法か炭素年代のどちらかの一方に決めて論じるべきだ」といわれているのを思い出します。波根西の珪化木も2000万年前の地層に4000年前の木が流れ着いたと勘ぐることもできます。島根県に流木化石があるならばほかでもあるに違いないと思っていましたから波根西の珪化木もその時のものかと思うようになりました。ちなみに島根県には<千木>という地名があります、筆者はこれをその時4000年前の大津波が運んだものかと疑っています。このように昔のことは思い出すのですが最近のことが・・・^^?

> これらの地層の中には石炭の層が数十枚あり、普通1から3メートルの厚さですが、5メートルをこえるものもあります。
>  https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/jyousetsu/1f/0003.html
>

『石炭の層が数十枚あり』
これは、津波流木説では解決できませんね。ただ5mもある堆積層がどのようにしてなったかの疑問がつきません。5m×15倍=75mが堆積するメカニズムが巨大津波以外で考えつかない。1サイクルの炭層厚が夕張のように段々に薄くなっていれば津波の可能性大である。

『カルデラの件』
私はカルデラは巨大隕石痕ではの疑問をもっています。管理人さまも「北海道の多くの火山地形が多角形になっている」ことをあげられていました。私は、そのような見方をしたことがなかったので新鮮に感じたのを思い出します。爆発痕なら多角形痕も考えられますが、火口痕であれば多角形痕にならないのではと思います。このように北海道の火山口を巨大隕石の衝突痕とみれば、その時々に津波が発生しますよね^^。

『坪背山探索の件』
色々の情報はありがたいのですが、<猪の目峠茶屋跡から散策道を7分ほど登った所から右手方の分かれ道の行き当たりに、隠れ坑道のズリありか!?>を確かめる気力が残っていません。かっての山歩きで、イノシシの掘り返した痕に遭遇したり、散弾銃の薬きょうを目にしていますから、間違って撃たれたとのニュースもあるし、こわい怖い^^!

 コメントありがとうございました。  □ 机上探偵^^ 平 素人より、

http://



[456] Re: 十勝平野

投稿者: 青面金剛 投稿日:2020年 5月12日(火)15時31分22秒   通報   返信・引用

机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。
>  この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。

 2千万年前の歴史の証人「珪化木」 大田市久手町波根西の海岸https://www.pref.shimane.lg.jp/infra/nature/shizen/shimane/dekakeyou/syouninnkeikaboku.html

☆十勝地方では、60年程前に、資源探査が行われ、微量の石油が幾つかの地で、確認されましたが、採算性には程遠かった様です。

釧路炭田………縄文海進
 釧路炭田の形成は、約3800万年前の古第三紀漸新世の時代です。
釧路管内を中心に、釧路沖の海底を含む広い範囲に浦幌層群と呼ばれる地層が堆積し、そのなかの春採(はるとり)層・天寧(てんねる)層・雄別層・双運層・尺別層に石炭が含まれています。
これらの地層の中には石炭の層が数十枚あり、普通1から3メートルの厚さですが、5メートルをこえるものもあります。
 https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/jyousetsu/1f/0003.html

 道北の稚内・豊富には石油質の温泉が湧き出て、アトピーの湯治に良く効く、と評判です。
 豊富温泉は大正14年より、石油の試掘を行ったところ、翌年5月に地下約960mの地点より高圧の天然ガスと共に43℃のお湯が噴出したことから開湯した温泉です。
https://toyotomi-onsen.com/history

国内油ガス田 https://www.japex.co.jp/business/ep_j/domesticfields.html


※ 坪背山周辺では、鹿猪の駆除の為、銃や罠を用いる場合が有ります。無断入山は禁止されてますので、事前に、出雲市役所森林政策課 Tel 0853-21-6996 に届けなければ成りません。
http://www.city.izumo.shimane.jp/www/section/0000000000000/1301563212058/index.html

レンタカー、タクシー、レンタサイクル情報 http://www.izumo-kankou.gr.jp/8575

☆平さんが80歳未満ならば、一人乗り電気自動車COMS(コムス)で廻る事も可能です。
4時間フリーコースで4000円程。https://dandan-izumo.resv.jp/support/support_help.php

☆古代出雲歴史博物館は現在休館中です。https://www.izm.ed.jp/
現在、桃太郎エクスプレス・バスは運休中です。特急「やくも」は運行してます。



                 



[455] Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 5月12日(火)01時24分26秒   通報   返信・引用   編集済

  急がば廻れ^^! 油田を探すなら、まず石炭から・・

<石炭層の生成と変遷> 九大:高橋氏 1978/11/16受理、より
1.1 夾炭層の構成
・・、「石炭層の直下にかつて植物が生育していた時の土壌と判断される粘土層があったり,石炭層中の珪化した樹幹(珪化木)が層面に直立した格好で含まれ,さらにこの粘土層をつらぬいていることなどは石炭の原地成因説の有力な証拠とされてきた。」・・、

 この件は、4千年前の東北に衝突した巨大隕石で発生した巨大津波の件で述べたことがありますが、同様なことに「直立した藤里の大珪化木」がある。いかに巨大津波とはいえ、その発生源とその先端部分では、その様相がおおきく異なる。発生源では巨石ゴロゴロでも、その先端等で流れが弱くなった場所や後続波では、その濁泥土の粒度は小さくて粘土質のものが運ばれてそこで堆積する。そしてそこに棲息していた樹幹が大きければ直立したままで、津波と共に運ばれてきた粘土層に埋まり珪化木化する。この件で、奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。

また、藤里の珪化木はアイソトープ年代で〇〇年前であったが、その年代を示す濁泥土が染入ったものだとしました。津波が運んだ植物の遺骸は他地へ運ばれたり、混ぜ合わされた土粒へ埋まりこんだりするので、その年代を決めるのが難しい。

<続 伸> 上記論文より、
「・・、坂倉は,石炭層の厚さが水平方向で容易に変化したり,石炭を含む一連の地層(夾炭層)が,繰り返しリズミカルな堆積様式を示すことなどによって日本の第三紀炭は原地で生育した植物群をその原料にしたと主張している2)。・・」

 この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。3層の炭層の厚みは下から10尺、8尺、6尺であった。リズミカルな堆積様は、津波が同方向からそれらを運ぶからであり、10尺→8尺→6尺へとだんだん小さくなっているのは津波の後続波が弱くなっていることを表す。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。この地勢の件の要を氏は説かれている。

                       To be continued^^。



[454] 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 5月11日(月)07時52分12秒   通報   返信・引用   編集済

 おまたせしました^^! やっとその論文を再検索することができました。

☆「石炭層の生成と変遷」九州大学 高橋良平
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

「将(油田)を射んとする者は、まず馬(炭層)を射よ!」
この論文は専門的であり、わたし素人にとっては難しいのですが、石炭の生成因は、現地性とするか、流木性とするかの論があります。その炭層の厚みをなすには十数倍(!?)の植物の堆積を考えねばならず、流木性といってもその厚みは、通常の大洪水では到底考えられず、そして、その分布は地球規模にあります。炭層の年代は、筆者の掲げている6500万年前のものだけではないようですが、<流木=洪水>ではなく、<流木=巨大津波>原因 と考えると解がでることに気付いて欲しい。

 先の情報で夕張の炭層の露頭は、下から10尺、8尺、6尺の3層とあるが、これは津波の数波によって回層?をなしたと考えられるし、論文で炭層を挟んでいる夾層が砂から粘土質へと異なるのは、巨大津波が持つ多数波の特徴であり、津波の上流になにがあるかによっても異なり、おおむねは第一波は粒度が大きく、第三波以降は粒度小さくなると思っています。さらに面白いのは<石灰層>の夾層もあるようです。この津波が運んだ堆積層の件は、なにも遠くの国や特別の場所へいかなくても、わたしの貴方の近くにもあるはずだ。瀬戸内山陽道北側の20m~30mの丘陵地。京都府新幹線車窓北側の丘陵地や、岩手県胆沢扇状地北の丘陵地もそうでないかと思っています。なにしろ地球の90%を覆った巨大津波ですから。『川がないのに角のとれた丸こい石の堆積丘^^?』それが少年心(こどもごころ)には不思議でならないのです。

 キシ先生>に希望します。長文の情報層で小拙層を覆い隠さないで欲しい(笑い)。

当初の論文を熟読します。その時の超巨大津波と考え合わせながら・・・・
                      To be continued^^!

> <十勝川河口にも必ず油田があります!>
  それと<然別川と音更川との湿地帯あたり>
を予測しておきます。

> (5/3)とりあえず関連して石炭中に<NaCl>の塩素の含有があることが分かりました^^!
塩素Clは単体では活性化が強く、それがナトリウムと結び付き海水中にあります。

> ☆「石炭の過熱過程における塩素の行方」
  1. 緒言石炭中の塩素(coal-Clと略す)は、・・・
  https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane/103/8/103_TETSU-2016-110/_pdf

> ☆ 夕張、合せて24尺炭層の大露頭^^
 http://www.geosites-hokkaido.org/geosites/site0002.html</nacl>



[453] 「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2020年 5月 6日(水)12時34分16秒   通報   返信・引用

鶴は千年、亀は万年」万年山…
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1対2対√3の直角三角形をどのように置くか(直角の部分をx軸およびy軸に一致させる必要はあるでしょうが)によって、sin, cos, tanの値は異なる、という話です。

亀の甲羅は何角形ですか?
六角形と五角形の模様が集まって甲羅全体はほぼ楕円形をなしてるhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11169782806
楕円形…
地球 地球は完全な球体ではなく楕円形をしている。
【回転楕円体】https://zatsugaku-company.com/earth-oval-circular/
地球は回転しているために、赤道に近づくほど膨らんだ楕円体の形をしており、赤道付近の遠心力が重力を弱めている。そのため、「振り子時計」のおもりの動きに違いが出ると説明したのだ。
…粘土球を作って、中心に棒を差し込む。この棒を激しく回転させたとき、球の中心部が遠心力のためにふくらんでくる。そして、上下の極は扁平になり、粘土球は楕円体になる。
地球そのものも回転をしているので、この粘土球と同じように、楕円体になるということだ。

円に関する定理を集めてみた。五角形と円、六角形と円・・・
ここには何か関連がありそう。4点以上が円周上にあることの不思議。
やってみてわかってきたことhttps://www.geogebra.org/m/m2Dwpx5c
(1)二つの円で偶数個の円を描くとぴったり一致すること
(2)偶数個の円の中心は楕円の外接多角形であること
(3)その楕円の焦点を中心とする円が最初の二つの円であること
      詳しくはミケルの定理 http://hamaguri.sakura.ne.jp/miquel.html
例えば二点とばしの六角形で星型五角形と同じことが言えないかなど・・・。

二つの円の交わる角度を変えてみる。円の交点の角度=交線の角度という関係がある。さらに、元の長さは半径が同じなら等しい。
交わる二つの円に関する性質https://www.geogebra.org/m/m2Dwpx5c#material/GDg4PJ28

万年山(はねやま)は、大分県日田市、玖珠郡玖珠町、九重町にまたがり、耶馬日田英彦山国定公園に含まれる標高1,140.3mの山である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/万年山
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株が伐株山であり、巨木が倒れる際にはね上げた土が山となったのが万年(はね)山であるという伝説がある。
北西側には国定公園に含まれる耶馬溪、日田盆地、北北西30キロメートルの英彦山など、玖珠町には西椎屋の滝(日本の滝百選)、角牟礼城跡など、南東側では九酔渓、震動の滝、龍門の滝、九重"夢"大吊橋、国立公園九重やまなみ牧場、東方20キロメートルに由布岳などがある。南方15キロメートルに九重連山、南方30キロメートルに阿蘇山。
「万年山」は山頂が平坦なテーブル上の形をした草原で、穏やかなハイキングコースもあり家族連れにも人気。山頂からは、広大な展望が望め、南東に九重連山、東に由布岳、北に玖珠盆地が見渡せます。
「巨木が倒れる際にはね上げた土が山となった」のが万年(はね)山であるという伝説がある。…
 ↑ 紀氏的解釈…
巨木…<大きな定規>…巨は工字型の定規を描いた象形
定規は工型で両端のあいだが離れているから「へだてる」 (拒・距・炬)https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/bbe057a67b47b8131d2536abc428bd13
木…キ 鬼・姫 キ・ひめ?
 金文は「女(おんな)+ふたつの乳房」 で、乳房の成熟した女を表す。篆文・旧字は乳房が一つになった「女+?イ」の形。成人の女の意から転じて君主の側妾や貴婦人の意。新字体は乳房が?⇒臣に変化した姫になった。
覚え方 「女+臣(下をむく)」で、君主のそばで下をむいて仕える女。
意味 (1)貴人のそばに仕える女性。高貴な女性。「寵姫チョウキ」(お気に入りの侍女)「姫妾キショウ」(姫も妾も、貴人のそばに仕える女性の意)
高貴な女…?…
?姓は元々、禹の姒姓と同祖であり、黄帝、帝嚳の別姓とされる。嚳の子孫の后稷はこの?を姓として使ったという。后稷の子孫とされる古公亶父が周の始祖であり、その曾孫の武王が殷を滅ぼして、周王朝を築いたためその国姓となった。
周王室から分家した?姓の諸国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・晋(もとは唐、諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢/西虢に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随[1]・韓(戦国の韓とは別国家)・劉[2]などが挙げられる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/姫_(姓)
劉…
[10135] 劉姓…五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。…ユダヤ https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/10135

〈道教とは中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤として,その上部に墨家の上帝鬼神の思想信仰,儒家の神道と祭礼の哲学,老荘道家の〈玄〉と〈真〉の形而上学,さらには中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れ,隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった〈道(タオ)〉――宇宙と人生の根源的な真理もしくは真実在の世界――の不滅と一体になることを究極の理想とする漢民族(中国民族)の土着的・伝統的な宗教である〉https://kotobank.jp/word/道教-103310

太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。http://juroujinn.la.coocan.jp/kessya.htm
黄巾の乱、紅巾の乱、太平天国の乱という歴史上有名な反乱の中心となったのは、それぞれ太平道、白蓮教、拝上帝会という宗教的秘密結社であった。太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。

白蓮(びやくれん)・弥勒(みろく)教徒が勢力の中心で,紅布で頭を包み標識としたので〈紅巾の賊〉ともいう。https://kotobank.jp/word/白蓮教-120986
紅布…茜(あかね)色の布地…
魏志倭人伝には、卑弥呼が239年、魏から金印を受けた際に「せん絳(せんこう)(茜(あかね)色の布地)」などももらったとある

卑弥呼はドルイド教の巫女だったのか?邪馬台国とは倭寇の本拠地、対馬、壱岐、松浦半島にあったのではないか邪馬台国は、デーン人が影からドルイド教の巫女、卑弥呼を使って支配した古代倭寇の国だったしかも、F1bグループ(中国系)が倭寇を支配していたので、邪馬台国は「天皇が治める日本」とは異種の「もうひとつの日本」と言えるかもしれないempirex.web.fc2.com/2kanmin.html
ドルイド教…
ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながりrapt-neo.com/?p=33045
ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導をしたり、公私を問わず争い事を調停したりと、ケルト社会におけるさまざまな局面で重要な役割を果たしていたとされる。
…ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。
ドルイド教の神官たちは、古代ケルトにおいてはドルイド教の神官となり、ギリシアではピタゴラス派になったというわけです。
…「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗に等しい」というのがピタゴラスの定理であるが、この定理は、前6世紀の数学者ピタゴラスが発見されたといわれている。
だが、有名な作家ヘロドトスは、エジプト人はこの定理を使って、ピラミッドを築き、無名の大工たちも家を建てている。と記している。
どうやら、この定理はエジプトではすでに普及していたものらしい。

古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認、英国https://www.afpbb.com/articles/-/2763458

生け贄と言えばドルイド教や古代ゲルマンの宗教も外せないしフェニキアのモロク信仰もある。

(ドルイド教の神官団)はインドのランカー島に拠点を得、ルカ人(ドルイド教の神官団)はフェニキア人とペリシテ人を 輩出し、ウェシュシュ人(ドルイド教の神官団)はウェールズ人(ブリトン人)の祖と考えられる。

フェニキア人、マゴ王家(天孫)の後裔(ドルイド教):多氏(大国主命)、坂東八平氏
フェニキア人の後裔サルマタイ人(ドルイド教):物部氏(大物主命)
失われたイスラエルの10支族ガド族(ソグド人)の後裔(太陽信仰):神武天皇~武烈天皇(天照大神)、蘇我氏、安倍氏、吉備氏
ヘリオポリスの蛇神を祀る神官団の後裔(蛇信仰):賀茂氏(オオナムジの前身、蛇神ナムジ?)
ブリテン島からベトナムに来た越人の後裔(ドルイド教):蝦夷(エゾ)、伊達氏
古代中原に来たシュメール人の末裔(牡牛信仰):東漢氏、西漢氏
失われたイスラエルの10支族ルーベン族等の末裔(月信仰):秦氏
多禰氏https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4498
多禰氏…
「多禰国」記事,隣接の屋久島(掖玖国)は遥か以前からよく知られていた,「五千余里」は九州王朝 …
すり替えられた九州王朝の南方諸島支配http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho119/kai11904.html
…九州王朝の事績の盗用は、卑弥呼・壱予・玉垂命など九州王朝の女王の事績を取り込むための「神功紀」創設、九州王朝の九州一円平定譚の「景行紀」への盗用、倭王「武」の上表文にあわせた、日本「武」尊の東方「毛人」征討譚の創設など、枚挙に暇がないほどだ(註9)。
 そして、南方諸島支配に関しても、同様の詐術を施した。

卑弥呼も使った?古代の赤 ベニバナ花粉が大量出土http://www.asahi.com/edu/nie/kiji/kiji/TKY200710140096.html
4年後の243年には邪馬台国側から「絳青けん(こうせいけん)(赤と青の絹)」を魏に贈ったと記されている。
赤と青の絹…紫・・・
赤と青の錐体が反応します。脳は赤と青の錐体が反応した時は「紫を見た」と認識するので、結果として赤と青を混ぜると紫に見えるhttps://lastline.hatenablog.com/entry/20080319/1205925226

『纒向(まきむく)遺跡・大量のベニバナ花粉,卑弥呼の贈り物染めた?http://www.biwa.ne.jp/~futamura/sub73.htm
   <最古のベニバナ花粉,邪馬台国映す「紅」>』(読売新聞 2007,10,03より引用)

卑弥呼の鬼道とはhttps://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/0966da89fb7d80af35f573336a1d761e

太平道は、どちらも早期道教と呼ぶことができる。まとめると、早期道教には次のような特徴がある。 1、早期道教は主に社会の下層で苦しんでいた民衆の間に伝播したwww2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
張角は36の方を作り教団を統括した。…36…ミロク

道教(卑弥呼)VS景教(秦氏)https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1217
…卑弥呼が女王になる前後の時期に、太平道の兵団 を率いた(ことがある)人物、もしくはその関係者が列島に渡来した可能性も考えられる。http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/54063c7b766b6723f9e4d854beba8a14
銅鏡を「邪を払う・神に会う」ための呪具とする信仰は、道教の中に継承されることになる。
天津社会科学院教授の王金林氏によれば、墓に副葬された道教の呪具の中で、玉は不朽で永遠に存続する、銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する、さらには、銅鏡を被葬者の左右に置く「日明鏡」、銅鏡を前後左右に置く「四規鏡」は、神仙と会い悪魔を制御し、俗から離れて仙人になる目的を達成する思想によるという。
銅鏡の副葬と神仙思想の関係
 道教において鏡は神仙示現・予知・不老長生・辟悪などに関わる呪具として用いられるものであり、副葬品としての鏡もまたそうした多様な呪術的性格を持ち合わせていたのではないかと思われる。たとえば、三角縁神獣鏡に描かれた神仙や霊獣が道教的思想を反映して描かれたことは、神仙が東王父・西王母などに対応して配置されていること、霊獣が巨(矩)と呼ばれる呪具などをくわえた例などからもうかがわれる。その際、霊獣は神仙の乗り物として死者の霊魂を仙人のいる天上世界に導いてくれることを期待されたのではないか。
 (「古墳出土の玉・鏡・剣の副葬品からみた道家思想の影響」王金林)
剣の副葬と尸解術
 剣は被葬者の生前の社会的地位を示すと同時に、祭祀具としての宗教意識を内包するものである。東大寺山古墳出土の環頭大刀銘に「上応星宿、下辟不□」と刻されているように、大刀は宿星信仰に基づいてその呪力が期待されて副葬された。道教では神仙の地位の上下(総じて九品)が決まっており、道士は修練によって神仙世界に昇ることができるが、その修練の度合いによって昇天の方術は飛天・隠遁・尸解(魂が昇天する)の3つに分かれる。(王金林)
 どうやら、古墳に副葬された鏡と剣の配列にも、信仰的意味があったらしい。死者に副葬された剣は、死者が神仙世界に昇るための呪具だったというわけである。

縄だけで簡単に造れる前方後円墳…
西都原メサホ塚古墳の1/10設計を試みました。https://pentacross.up.seesaa.net/ftp/200503179a04cb95.JPG



[452] 北海道の未掘油田を捜す!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 5月 2日(土)06時57分4秒   通報   返信・引用   編集済 > No.451[元記事へ]

管理人さまへのお返事です。

重ねての「北海道の未発掘油田を推測」へのお付き合いおそれいります^^!。

> 北海道にも油田があるんですね!知りませんでした・・・・。
> その油田に海水由来の塩分があるかどうか、気になるところですね。
>
> 下記のサイトに石狩油田 八の沢鉱業所跡の記載があります。
> 「安政5年(1858)厚田望来の海浜で石油の湧出を確認。明治12年(1879)春別で試掘。採掘に数々の困難を窮め採算及ばず。後に日本石油株式会社に譲渡され、昭和初期の最盛期には油井数188杭、年間産油量、約1万キロリットル、従業員250余名の活況を呈した。その後、帝国石油株式会社に引き継ぐが油量激減。北宝石油株式会社に継承。35年(1960)8月採掘を廃止し、試掘から81年の歴史を閉じた。ここに、我々の尊い足跡を永く伝えんと碑を建てる。
> 平成12年10月吉日 八の沢石油友の会 記念碑建立実行委員会」
> https://driving-hokkaido.com/?p=5135
> ここにその位置を示すグーグルマップが掲載されているのですが、石狩湾の低湿地(かつては海)であった地点より少し丘陵になったあたりらしいです。これが平さんご指摘の津波由来の油田だったとすると、面白いですね!
> そのマップはこちら。航空写真添付します。

北海道に油田、秋田に油田があったなんて、私も知りませんでした。だから「釧路に油田」を発見けてやろうと思っていたのですが^^!、明治代からの歴史があったのですね。今では「検索」すれば数々の情報が得られるのですね。わたしも、この情報にあたりましたが、再度、捜し出せなくて諦めていました。その検索力はもとより、読解力・思考力も落ちて根がつづかなくなりました・・^^!。

> 石油の湧出を確認、から
 事前に油分の湧出があっての探掘に至ったのですね。前述の静岡・相良油田や秋田の臭水(くそうず)も、地下の油分の湧出がきっかけのようです。しかしながら、いちばん効率よい汲み上げ場所の選定には、苦労があったと思われます。ずいぶん前のことですが、爆薬をしかけて地震波の跳ね返りで下層の状態を推して探査をしたとかを聞いたことがあります。その試掘には、諸問題の解決はもとよりお金がかかりますよね。採算が合わなければ問題外です・・・^^!。

> 「低湿地(かつては海)であった地点より少し丘陵」になったあたりらしいです。
  ※ これは、地向斜とともに重要ワードですね^^。

 北海道では、ほかに現稼働の勇払油田もあるとか。6500万年前の超巨大津波は、ほぼ北上して大多数が石狩平野を乗り越え日本海側に突き抜けていますが、一部の戻り水の溜まりが勇払の河口あたりにあったようです。ここにあれば、勇払のように受けV字湾になっていなくて片V字地形なので少し条件は落ちますが、

  <十勝川河口にも必ず油田があります!>

それと<然別川と音更川との湿地帯あたり> を予測しておきます。

このあたりに「油分が湧き出ている情報」はないのでしょうかぁ^^?  釧路平原のモノは、すでに予定されていたので探索の要はなくなりましたが、ぜひとも参考にはしたいですね^^。

<油田中の海水塩分について>
 これは、石油成因は<プランクトンの海底溜まり説>が一般化しているので塩分があるのが当然と云われそうです。しかし『石炭層の中に塩分ありか?』となると話は変わってきます。いまでは石炭については蚊帳の外にありますが、改めてその堆積状況を知り、一口に石炭層といっても実にさまざまなのですね。それを「6500万年前の巨大津波」に絡めて、その一つ一つの状況を推し考えると面白くて頭が混乱しそうです(笑い)。  ありがとう御座いました。□

 その論文を再検索・捜しますので少々お時間をください^^!

(5/3) とりあえず関連して石炭中に<NaCl>の塩素の含有があることが分かりました^^!
塩素Clは単体では活性化が強く、それがナトリウムと結び付き海水となっています。
☆「石炭の過熱過程における塩素の行方」
1. 緒言石炭中の塩素(coal-Clと略す)は、・・・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane/103/8/103_TETSU-2016-110/_pdf
☆ 夕張、合せて24尺炭層の大露頭^^
http://www.geosites-hokkaido.org/geosites/site0002.html</nacl>

http://



[451] Re: 北海道の油田を捜す!!

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 5月 1日(金)23時56分16秒   通報   返信・引用 > No.450[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
> 度々、「北海道の未発掘油田の推測」へのお付き合いありがとう御座います^^。
>

北海道にも油田があるんですね!知りませんでした・・・・。

その油田に海水由来の塩分があるかどうか、気になるところですね。

下記のサイトに石狩油田 八の沢鉱業所跡の記載があります。


八の沢鉱業所跡の碑に記されていたのは以下の通り。

「安政5年(1858)厚田望来の海浜で石油の湧出を確認。明治12年(1879)春別で試掘。採掘に数々の困難を窮め採算及ばず。後に日本石油株式会社に譲渡され、昭和初期の最盛期には油井数188杭、年間産油量、約1万キロリットル、従業員250余名の活況を呈した。その後、帝国石油株式会社に引き継ぐが油量激減。北宝石油株式会社に継承。35年(1960)8月採掘を廃止し、試掘から81年の歴史を閉じた。ここに、我々の尊い足跡を永く伝えんと碑を建てる。
平成12年10月吉日 八の沢石油友の会 記念碑建立実行委員会」

https://driving-hokkaido.com/?p=5135


ここにその位置を示すグーグルマップが掲載されているのですが、石狩湾の低湿地(かつては海)であった地点より少し丘陵になったあたりらしいです。これが平さんご指摘の津波由来の油田だったとすると、面白いですね!

そのマップはこちら。航空写真添付します。
https://www.google.com/maps/place/%E7%9F%B3%E7%8B%A9%E5%B8%82+%E5%85%AB%E3%81%AE%E6%B2%A2%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E8%B7%A1/@43.1573781,141.4560625,13470a,35y,37.85t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0x4e9756cadf3a556b!8m2!3d43.2789642!4d141.4795241?hl=ja



[450] 北海道の油田を捜す!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 4月30日(木)04時39分17秒   通報   返信・引用   編集済

管理人さまへのお返事です。

度々、「北海道の未発掘油田の推測」へのお付き合いありがとう御座います^^。

> ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。
> ご指摘のとおり、海水の塩分 がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

 素人探偵が(30年前)第一番目の探索としたことは、巨大津波因による「未発見油田地の推測」でしたが、これは余りにも "突飛論"過ぎ、どなたさまからも相手にされませんでしたので「東北巨大隕石説の探索」→「未発掘の卑弥呼の大量の銅鐸・銅剣の埋封(筆者の造語)場所の捜索」へ移りました。しかしながら寄る年波の衰えがあることは否めません。30年間萎えることなく絶えることなく続いてきた「少年心」にさえかげりがあります。
 ・・のでので^^! 頂いた情報をきっかけに「探偵局」当初のミッションである「未発見油田」の着手を記録に遺しておこうかと貴家・掲示板をお借りしています。札幌市にもかつて汲み上げていた油井が二か所ほどあるようです。何故、そこで油井掘りに至ったかのいきさつにとても興味があります。

日本の石油事情(wikiより)
「日本の石油・天然ガス資源」および「石油元売」も参照 ・・・中略・・、
 現在では、新潟県・秋田県の日本海沿岸、および北海道(勇払平野)などで原油が採掘されている。生産量は年間で63万キロリットル(2014年度)で、国内消費量全体に占める比率は0.3%に過ぎない[7]。現在 新たに釧路平野に原油が予測されており経済産業省は新たに鉱区を設定した。

 釧路平野のものは、すでに予測されていたのですね^^!。石油埋蔵地の推察は「6500万年前の巨大津波」に気付けば埋蔵量や質の推察さえも大して難しいことではありません。それが採算にあい、実利があるかどうかの方が、大きな問題となります。当探偵局としては他の人が予測してあるものは、二番煎じとなるので他地の<十勝平野)>へ移すことにしましょう(汗~)。

油田の場合は、前述の「銅鐸や銅剣」のようにピンポイントで探る必要がないので、大まかに言い当てればいいのですが、採算に合うことはもとより、他の諸問題、たとえば釧路のような国定公園内にある等々の現実問題のクリヤーのほうが、かなり難しく専門家チームの参加がなければ、その採掘が可能になるとは思えません。

 (30年前の)状況の違いは別として「油井の試掘・一本20億円」を得ていましたが、今はどうなのでしょか。当探偵局としては、前述の諸問題クリヤーは抜きにして、油田の中心を探ることを目的としています。「石油成因物は、津波の奥まった所と、戻り流で河口付近に流れ出て留まっています!!」

> あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

 その砂利は、前述「サハラ砂漠」で、その貝は「ドーバー海峡の白亜や、中国の桂林」といったら、ますます、相手にされなくなるでしょうか^^? 日本では「秋吉台」にあります。巨大津波が運ぶ貝殻は、素人の言うものだけではありませんが、「鍾乳洞」となったりもしています。素人の論が正しければ、未だ見ぬ鍾乳洞が北海道にも“必ずある”と思いますよ^^♪ そして、その集積した貝類が衝突熱や火山熱を受ければ大理石化することもあります。

> ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

石炭や石油には、必ず「海水の塩分」が含有しているはずだと申し上げました。
< これに、少し言葉をたします。>
石炭と石油の全てには必ず津波で』運ばれた海水の塩分が含有しているはずだ。

さてさて、かくも専門家にしては簡単であろう分析をしてくださるでしょうか??
過去30年間のいきさつから推すと、無視されるがオチだとおもいますが~~???
その「塩分」がなければ当方の過去30年間の「報告書2000通」は全没となります^^! (もっとも、石油のほうはプランクトンの堆積説が一般的でした)
素人探偵は、残念ながら「それを頼める専門家」の人脈を持ち合わせていない。
 でもでも、過去にはそこは「海だった」というお人が必ず出るんだよね(笑い)
〇m~数百mの炭層が海ぃ~^^?
                   2020/04/30 史実探偵 平 素人 □

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



[449] エラーです。…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2020年 4月29日(水)11時40分56秒   通報   返信・引用

[448] 「 鯷(なまず)」…古代科学史掲示板
エラーです。
B206: この内容は掲示板管理者がNGワードに設定した文字を含んでいるため、投稿できません。
詳しくは上記エラーメッセージと投稿できなかった「記事本文(URL含)」をあわせて掲示板管理者にお問い合わせください。



[448] 「 鯷(なまず)」…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2020年 4月28日(火)10時48分49秒   通報   返信・引用

「鯷は大鮎。其の皮を以て冠と為す」とある。また『説文解字』にも「鯷は大鮎」とある。時代が下って、『捜神記』に「子路之を引くに、手より没して地に仆る。
魚の名の漢字(21)「鯷」
「おおなまず」を第一義とする点では四辞典とも一致。カタクチイワシを第二義とするのは漢辞海と漢字源。新字源と新漢語林は「ひしこ」を国訓とする。
…大口鮎(河鮎)が古代の鯷に当たると考えられる。
鮎(なまず)
占(ひと所に定着する)
占 セン・うらなう・しめる  ト部
 (2)中国では、なまずを言う。「鮎魚デンギョ」(なまず)https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/5bf34d06f9d457526c1a6c4f99dcc15c
きぬた(砧)。「衣板きぬいた」の略。布地などを打つときに使う石や木の台。また、その台を打つこと。

台…「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>…https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
臺の略字である「うてな・高殿」、生産を始める儀礼から「行動をはじめる・きざす」、スキで大地を掘り起こす事から「やわらかい」イメージがある。
始 シ・はじめる・はじまる  女部
解字 「女+台(行動をはじめる・きざす)」 の会意。女の腹の中でみずから動き始めた生命の意。意味は胎と同じだが、胎は胎児の意に、始は始めの意に用いる。

紀元前4世紀の頃の日本列島は、髭もじゃで水辺で漁をいとなむ、大国主=大穴牟遅=大なまずの国だったので、「後漢書」は倭人に「 鯷(なまず)」の一字に集約しているかもしれないんです https://tacchan.hatenablog.com/entry/2017/12/19/203203
倭は別名を「タイ国」とも呼ばれた時期があったし、ヤマタイのタイと鯷(テイ)の関連は伺われますし。
澶洲とは朝鮮のことですね。
ここから導くに、倭人こと東のなまず人は、夷洲(倭)および澶洲(朝鮮)という2つの地域に住んでいました。これら2つの地域に、徐福の民が上陸したというわけです。
しかし、髭もじゃで水辺にいることだけが、なまず人と呼ばれた理由ではないのです。…
…古代エジプトでは、「なまずは冥界の牧人と話す魚」と信じられていた…

阿蘇大明神(健磐龍命)の使い ナマズhttps://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2535

太伯(金星)の類い 東鯷(なまず)人(とうていじん) https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2409

鯰を神の使いとする神社がいっぱい!?「句呉(こうご、くご)」の民https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4443

啓典の民   星宮神社https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1823
鯰…鰻図であるのが大きな特色である。鰻は一般に 虚空蔵菩薩の使いとされ、その鰻がここでは鯰とも結びついている。http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/bunkazai/da/item/detail.asp?wag=2&prePageNum=2&mngnum=0000044
、地震は「 ゲブの笑い」と呼ばれ、ゲブが愉快な気分になると地面ごと揺れるというのだ。http://www.moonover.jp/bekkan/god/geb.htm
大気の神シュウとテフヌトから生まれた大地の神。ゲブには恐れを抱かせる邪悪な神としてのイメージと、恵み齎す多産の象徴としてのイメージが混在する。
ゲブ(Geb)は、古代エジプト神話の大地の神。ヘリオポリス神話では大気の 神シューと湿気の神テフヌトの息子。妹でもある妻、天空の神ヌートとの間に、オシリス、 イシス、セト、ネフティスをもうける。http://www.weblio.jp/content/%E3%82%B2%E3%83%96
ヌート 【Nut】http://www.weblio.jp/content/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%88
古代エジプトの天空の女神。大地神ゲブの妻でオシリスやイシスらの母。ヘリオポリス九柱神の一神。シカモア樹の中に立ち、死者の魂(バー)に水を与えている姿で表される。
魂(バー)に水
ギャーン( 魂)
ギオン」はペルシャ語のギャーン( 魂)が語源ではないかと推測され、祇園祭の山車にはペルシャ絨毯、モスクやラクダの 図柄などペルシャを彷彿とさせるものも多く登場するんですって。http://plaza.rakuten.co.jp/reflexdaidai/diary/201303290000/
祇園祭の神輿を鴨川の水で清める「神輿洗式」という神事 を行う前に、神輿を迎えるため提灯行列が市内を巡行。http://kyoto.graphic.co.jp/pickup/season/2012/07/theme2/index.html
水で清める
水で清めるところなど、ゾロアスター教の 習俗を引いている部分が幾つかある、と指摘しているね。http://desktop2ch.info/whis/1122656242/
、「魚+占(=粘。ねばりつく)」。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025369225
鮎は中国では『なまず』を指します。
ひょうたん」は「ナマズ」頭が太い「ナマズ」を「ハチ」という「ハチ」の隠語は「ひょうたん」で ある。
「なまず」は「鯰」という字を書きますが、この鯰は国字(日本の文字)のため、中国由来の「鮎」と表記されています。http://www.myoshinji.or.jp/event/archive/archive/20100326_2147.html
「鮎」 占
「ハチ」
「蜂」預言者
Deborah(デボラ):ヘブライ語で「蜂」。女預言者で旧約聖書唯一の女性指導者。士師 記4章

氐(テイ)
禹を魚形の洪水水神とする 信仰は、氐族と羌族が共有し継承されたと考えられている。
禹の神話と秩父http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/b54858d48dd1ab8ee42fce3ac79514d5
秩父の荒川沿いに建てられた諏訪神社が北斗七星に置かれてることに気づいてから、このあたりに禹にまつわる話が残されており?それが北斗七星と関係しているのかどうか・・・妄想しておりましたところ、http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20131026(荒川と北斗七星
[4413]https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/4413/



[447] Re: 釧路平原の石油を捜す!!

投稿者: 管理人 投稿日:2020年 4月28日(火)00時10分14秒   通報   返信・引用 > No.444[元記事へ]

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

また、お知らせありがとうございました。


ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。

ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。



[446] フェニキア語 セム語派…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2020年 4月27日(月)17時28分58秒   通報   返信・引用

フェニキア語は、言語的に言えばヘブライ語に似ています。どちらも『アフロアジア語族、セム語派』の仲間で、文字は右から左へ書き、母音字が存在しません。
ギリシャ人はどうして、インド=ヨーロッパ語系民族に分けられたんですか? ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか?
ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか?https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13198245613
文字の歴史で言えば、フェニキア文字→ギリシャ文字→ラテン文字→現在の英語やドイツ語などで使われている文字、と言う様に辿れますが、言語の歴史としては、英語やドイツ語の祖先がフェニキア語である訳では全然無いです。日本語が中国語の表記方法を取り入れた、現在のベトナム語が近現代にラテン・アルファベットを取り入れた、それらと同じ事です。言語の歴史は、文字の歴史とは全く別物、かつ、(殆どの場合)文字の使用よりもずっと古い時期を対象としたものです。

アラム人とフェニキア人
紀元前1200年前後の「海の民」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。陸上でヒッタイトとエジプトの勢力が後退したばかりでなく、海上でもクレタ文明、ミケーネ文明勢力が崩壊したからである。これによって、この地方でセム語系の3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)が、それぞれ独自の活動を展開する余地が生まれた。
インド・ヨーロッパ語系民族の進出 ? 世界の歴史まっぷ アラム人とフェニキア人 紀元前1200年前後の「 海の民 」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。https://sekainorekisi.com/glossary/ヒッタイト/
首都: ハットゥシャ、場所: トルコ に流れるクズルウルマク川周辺、言語: インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語

相互に関係があるとする説も…
ヒッタイト語派とも呼ばれる。古代西アジアで話されていた。インド・ヨーロッパ語族とは別の語族としたうえで、相互に関係があるとする説もある。発音や文字などにおいて、印欧語族に新たな発見を多数もたらした。
ヒッタイト語はほかの古いインド・ヨーロッパ語族の言語と同様に屈折語である。
ヒッタイト語https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒッタイト語
ヒッタイト語(ヒッタイトご)はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語。アナトリア半島中央部のハットゥシャ(現在のトルコ北部ボアズキョイ)を中心とするヒッタイト帝国で使われた言語で、楔形文字によって粘土板に書かれた紀元前16世紀から紀元前13世紀頃までの文書が残っている。第一次世界大戦中に解読された。インド・ヨーロッパ語族の言語のうちもっとも古い文献の残る言語である。
ヒッタイト語は他の印欧語と異なる点が多く、早い時期に印欧語から分離したと推測されてきた。印欧語族の「姉妹言語」と考える研究者もいる。



[445] ・・・ハプログループBは約4~5万年前にアジアで分岐…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2020年 4月27日(月)09時25分26秒   通報   返信・引用

フェニキア人: セム語系諸族・海の商人…悪と商業が密接に組み合わさっていた…
紀元前1200年前後の「海の民」https://sekainorekisi.com/glossary/フェニキア/
全盛期には彼らの活動範囲は地中海を越えて、大西洋やインド洋にまでおよんでいた。政治的には、紀元前7世紀にアッシリアの攻撃に屈したあと、新バビロニア・アケメネス朝と次々に異民族の支配を受けたが、海上における活動は引き続き活発で、ペルシア戦争時にはフェニキア海軍が活躍した。紀元前4世紀後半にティルスがアレクサンドロス3世によって破壊され、東地中海の支配権はギリシア人に奪われたが、西地中海においてはカルタゴの勢力がなお健在であった。フェニキア人の文化史上の功績は、カナーン人の創始したアルファベットの書体が、まだ造形性の強いものであったのを線状文字に改良し、これをギリシア人に伝えて、今日まで伝わる西方系諸文字の源流となった点にある。

古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア人の歴史
ヴェネツィアの商人などで知られる地中海の金融や商業活動って、現代でもお手本にされるこが多いですよね。その起源ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、商業を発明したといわれるフェニキア(カルタゴ)人ってどんな歴史をもち、どのようにオリエント文明へと繋げていったかを紐解いてみたいと思います。
フェニキア人ってどんな人たち?https://wondertrip.jp/96632/
フェニキアとは、現在のレバノン近くに紀元前3000年ごろ出来た民族と国家です。
フェニキア人は、一つの民族ではなく、テュロス(現スール)、シドン(現サイダー)、ベリュトス(現レバノンの首都ベイルート)などに移住してきたセム語系の諸族のこと。
彼らは商業に関する能力に秀でていました。
海上交易により、クレタ文明が栄えていたギリシア都市との交流もあったようです。
後に砂漠や海に囲まれ狭い地域にあったフェニキアは、メソポタミア、エジプト、アナトリア半島などとの交易をし、古代オリエントの交通の要所として発展していきます。
…紀元前14~13世紀には世界中で貿易が盛んになり、フェニキア人の商業基地(植民地)が各地に建設されました。
特に、チュニジア共和国の世界遺産「カルタゴの遺跡」で知られるカルタゴは、この時大都市へと発展しています。
紀元前814年にカルタゴは、建国されたのではないかと推測されています。
フェニキア人たちは争いを好まない人々で、先住民に土地代を払うなどをして平和的な関係が築かれていたようです。
…チュニジア共和国のカルタゴだけでなく、15世紀頃に栄えたウガリット、スペインのカディスやバルセロナもフェニキア人が築いたものといわれています。
彼らが、交易を容易にできた理由の一つに、地形的なものもあったのではと思います。
海岸線は複雑で多島だったということから容易に航行することができ、イベリア半島東南部からシチリア島までの西地中海貿易を支配していたからです。
しかし、紀元前13世紀ごろから、東地中海一帯を征服しようとするやからが登場します。
それは、海の民という集団です。
彼らが、幅を利かせるようになると、当時大国だったヒッタイトは滅亡、エジプトの勢力が衰退していきました。
フェニキア人、アラム人、ヘブライ人は彼らが襲った土地に入り込み、様々なところに植民地(交易の場)を獲得していったのではとも言われているんです。
悪と商業が密接に組み合わさっていたと考えられます。

YAP(+)(Y染色体ハプログループE)
日本とは何ぞや?japanese-origin.hatenablog.com/entry/2016/12/17/180302
【E*】
DE*集団からの移動・・72,500~50,000年前
E*への変異・・・・・・・・・・55,000~50,000年前
サブクレード・・・E1-P147,E2-M75
主なSNP・・・M96,M40/SRY4064
E*(xE1,E2)とはっきりわかっているのは、2015年に判明したアフリカ東部の男性3人。E*(xE1,E2)がはっきりわかったことにより、E全体の再分類がこないだやっと一段落した。なお、DE(xD-M174)でアルタイ山脈南部のベシュペリチルで1/43=2.3%観測されている。
また、3,352~3,161年前のE1b(E1b1b1b2a1a-FGC18319/Y5413)の遺骨(ArmeniaMBA)が、アルメニアのゲガルクニク地方にあるセヴァン湖の南西端の湖畔の村、南西にはノアの方舟で有名なアララト山の山系を一望出来るコーカサス地方のNerquin Getashenの遺跡で見つかった。
…遺跡には、はっきりしないがE1b1b1b2a1a-L788と推測される、3,593~3,395年前の遺骨(ArmeniaMBA)とともに、R1b(R1b1a2)の3,856~3,648年前の遺骨(ArmeniaMBA)が見つかっている。
DE*のいるチベットではE1b1b1b2a1aは発見されていない。脱アフリカしてチベットに行くDEから途上で脱落したものなのか、アフリカでEに進化して後世行ったものなのか、注目される。
なお、2010年4月27日、アララト山の山頂付近で方舟の木片を発見。遺骨と同様に炭素年代測定を行ったところ、大洪水が起こったとされる4800年前と同時期の木片であること、その木片はこの地方に繁殖していないことがわかった。別の調査では方舟らしき構造物がアララト山にあることも、大洪水はあったが局地的なものであったこともわかっている。
個人的には、大洪水以前の創世記では、遠くノドの地に離れたカインと遊牧民・演奏家・鍛冶屋の祖先となった息子ヤバル・ユバル・トバルカイン、アダムの後継者となって300年間神とともに歩み死なずに失踪したエノク、あとネピリムとは遺伝子的に何者かが気になる。
【E】
Eの分布図。ISOGGの下位サブクレードを見る限り、Eのアフリカ脱出ルートは主に4つ。1つ目はジブチ・エチオピア=イエメンルート(アフリカの角とも言う)、2つ目はチュニジア=(シチリア島又はサルデーニャ島経由)イタリアルート、3つ目はエジプトルート、4つ目はモロッコ=スペインルート。ギリシャが多いのは2つ目と3つ目が合流したからではないだろうか。
そしてアフリカ西部南端にいたEが大西洋沿いに真北に増えていたところ、Eの一部は突如北東に向かう。おそらくエレナ山の噴火の火山灰で気になって進路を変えた可能性が考えられる。なお、自説では、この移動に先立って後にDとなるDEがこの4つのうちいずれかのルートを開発してアフリカを脱出したと考えている。
E1b
・E1b1-PN2
東部アフリカ36/43=83.72%、アフリカのガンビア人33/48=68.75%・サハラ以南のアフリカに分布するバントゥー系民族73/108=67.59%(東部30/55西部43/53)、アフリカの小人ピグミー19/38=50%・エジプト人17/36=47.22%、ギリシャ人14/42=33.33%、アフリカ南部のカポイド(コイサンとも呼ばれる)21/75=28%・中央メキシコ原住民のサポテコ族2/15=13.33%、イタリア人5/39=12.82%*12、Baloch people(パキスタン)2/25=8%*13、ドイツ人2/32=6.25%*14、Makrani caste1/20=5%(パキスタン)*15、アメリカのインディアンの1つシャイアン族2/44=4.55%、南米大陸の北端に住むWayuu people1/26=3.85%、ロシア人1/30=3.33%、イングランド人1/32=3.13%*16。
日本人0/141=0%*17。*18
アフリカの小人ピグミー19/38=50%…

原ピグミー語
ハヅァ人はY染色体ハプログループB系統が58%[2]の高頻度で観察される。この型はピグミーによく見られるタイプであり、現在は固有言語を喪失したピグミーであるが、「原ピグミー語」はハヅァ語に近縁であった可能性がある。…
ピグミーの起源https://ja.wikipedia.org/wiki/ピグミー
ピグミーは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話す。しかし、その一方で、ひとまとまりの存在だと見なされてきた。その理由は、一つに小柄という身体的な特徴であり、もう ひとつは文化的な共通性。しかし、一部の研究者は様々な根拠から、異なる起源を持つ集団ではないかと、異論を提出している。彼らは共通祖先の形質を継承したからではなく、熱帯雨林における狩猟採集生活という環境が、自然選択として働いた結果、似たような身体に収斂したとする。もし、そうだとすると、ピグミーという言葉で複数の集団をまとめる事に、問題点が生じる事になる[1]。
…かつて存在したオリジナル・ピグミー語は遺伝子からハザ語に近縁であるとの説もある。
人種的特徴
ピグミーを総称した人種概念をネグリロ (Negrillo) と呼び、次のような特徴的な形質を有するとされる。
平均身長が150cmに満たない。他の黒人ほど肌の色は濃色ではない場合がある。体は筋肉質で胴は長くて太く、腕は長く足は短い。頭部が大きい。 髪質は細くちぢれていて体毛は毛深い。また、ブッシュマンやホッテントットといったカポイドにも見られる「脂臀」といわれる特殊な形質が女性にあらわれる事がある。
ネグロイドの下位区分とされるが、その特徴的な形質からさらに独立した人種とされたり、カポイドの集団と近縁ともされることもあるが、カポイドは突顎が弱く長頭が多いなどいろいろ異なる点が多い。
かつては東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など)と含め「ネグリト」と呼ばれ、フランスの人類学者カトルファジュは、両者を南インドを起源とする一つの人種であると捉えたが、東南アジアのネグリトは皮膚の色がより濃く、体毛が薄く、突顎が著しくないという違いがあり、少なくとも1960年代後半にはすでに別系統説が強くなっていた[9]。現在は遺伝学的に近縁でない事がわかっており、東南アジアのネグリトはオーストラロイドに属するとされる。
遺伝学より
言語学は文化的なオリジンを探求する方法であるが、生物学的な側面については遺伝学を利用することで理解することができる。
ピグミーにはY染色体ハプログループB系統が高頻度で見られる[10][11]。このグループは大地溝帯から森林地帯へ西進した系統である。
ミトコンドリアDNAの分析によって、例えば西のピグミー(アカやバカなど)と東のピグミー(トゥワやムブティなど)の間の遺伝的な類似性よりも、それぞれの近隣農耕民との方が遺伝的に近いという結果が得られている。しかしこれによって、ピグミーの同一起源が否定されたわけではない。実際にはピグミーの女性は近隣の農耕民に娶られるという一方的な通婚があり、ピグミーの女性の遺伝子が農耕民に供給されてきたからである[12]。mtDNAの集団内多様性や核DNAの研究から、実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。しかしながらピグミーの特徴である低身長については、ピグミーが西と東に分かれて以降、それぞれの集団が独自に環境に適応した結果であるという説もある[15]。
実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。…
東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など…)
アンダマン諸島の先住民など…
私達黄色人種も、元々は黒人。アンダマン諸島先住民族のお話。http://ancientjapan.hatenablog.com/entry/2014/05/11/214059
アンダマン諸島の先住民は、人種的にはオーストラロイドに属するネグリトであるとされていますが、実際にはネグロイドとの明確な区別は無いようです。
つまりは、アンダマン諸島の先住民は、東南アジアまで進出していながら、新しく現れたモンゴロイド形質の人達と混血する事なく、進出当時の形質を現在まで保持し続けている可能性が高い訳ですね。
彼らの中にも、ネアンデルタール人の血が混じっているのかどうか、非常に気になるところですが、見た目からは、全然混じらないまま、この地まで来た様にも思えます。
ちなみに、Y染色体で調べてみると、彼らは日本の縄文タイプの人やチベット人と同じハプログループDに属しています。
アイヌ民族、チベット人、アンダマン先住民、それぞれ全く違う風貌ですね。
しかし、人類がアフリカを出た頃に、突然変異によってY染色体ハプログループD系統の男性が現れ、現在の世界中のこのD系統の男性達は皆、この突然変異の男性の遺伝情報を受け継いでいると言う事なんですね。
Y染色体ハプログループD系統は人類が出アフリカを果たした頃の系統で、元々非常に古い系統なので、新しく現れた他の系統の集団から長期間隔絶された地域でしか、その勢力を保ってはいません。
つまり日本のY染色体ハプログループD系統のグループも、列島が海に囲まれ、長らく他の系統との混血が順調には進まなかった事によって、その勢力を温存されたと言う事になりますね。
ちなみに、このY染色体ハプログループD系統の男性は、アイヌの人達や南西諸島の人達に多い事はもちろんなのですが、それ以外の地域でも、今だにかなりの勢力を保っており、日本の男性全体の内の、実に約四割(約39%)が、このハプログループD系統のY染色体を持っていると言う事だそうです。
ただ、男性のY染色体や女性のミトコンドリアDNAの分布を調べる事で、人類が辿って来た道が大まかに見えて来ると言う事はあるのですが、Y染色体やミトコンドリアDNAの遺伝情報と言うのは、混血を重ねた人類の、膨大な遺伝情報の結果のごくごく一部でしかなく、それによって、人の形質までが判断出来ると言う訳ではないので、D系統のY染色体を持っている男性が、あべこべに非常に弥生的であったり、それ以外の人に非常に縄文的な人がいたりと言う事は十分起こりうると言う事なんですね。

小型のヒト属…
ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、小型のヒト属と広く考えられている絶滅種。[1][2] 身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/ホモ・フローレシエンシス
発見された骨は脳の異常な小ささから、小人症やピグミーのように矮小化した、あるいはクレチン症やラロン症候群といった発育上の障害をもった、ホモ・サピエンス・サピエンスの骨だと主張する研究者も多い。これに対しニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のウィリアム・ユンゲルスや、ロンドン自然史博物館のエレノア・ウェストン、エイドリアン・リスターなどは、新たな研究からやはり新種人類であるという説を唱えている。ペンシルベニア州立大学のロバート・エックハルは、新種人類説は以前の論文と矛盾し場当たり的だと批判している。ハーバード大学のダニエル・リーベルマンは、新種人類かを判定するにはさらなる化石が必要だと述べており、専門家の間でも評価は定まっていない。
ホモ・フローレシエンシスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ホモ・フローレシエンシス
このヒト属は、当初は12,000年前まで生存していたと考えられていたが、より幅広い研究の結果、最も近年の生存証明は、50,000年前まで押し上げられた。[5] 2016年現在では、フローレス人の骨は10万~6万年前のもの、石器は19万~5万年前前後のものであるとみなされている。[2]
50,000年前…
ハプログループBは数々の島を渡ってきた日本最初の移住民https://u-gene.jp/column/haplogroup-b/
ミトコンドリア・ハプログループBは約4万年前に東南アジアで誕生したグループです。アジアではハプログループDに次いで2番目に大きい集団です。
海を渡って最初に日本へやってきた移住民と考えられており、日本人の約15%がこのグループに属しています。
ハプログループBは約4~5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアといった南方に広まっていきました。
分布としてはイラン、イラク、華南(中国南部)、チベット、ベトナム、マレーシア、インドネシア、タイ、日本、台湾、フィリピン、ポリネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイなどで、アメリカ先住民からも検出されます。
とくにハワイの先住民であるポリネシア人にはグループBが多く、9割がこのグループに属しています。



[444] Re: 釧路平原の石油を捜す!!

投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2020年 4月26日(日)06時45分30秒   通報   返信・引用   編集済

管理人さまへのお返事のつづきです。

>石油無機質論 対 有機質論
 たいへん面白い「論説」をあげて下さり感謝します。
わたしは、石油の成った原因に「巨大津波による物体分別論」を唱えています。
そのいう分別論は、(絶版)報告書で提唱する『同似集合論』でもあります。拙文を捜すのに少し時間がかかりましたが以下に引用します^^!。

南極大陸は6500万年前、恐竜を大絶滅させた衝突惑星だ!
<序 文>
あるところに、「素人」という若者がおりました。素人は、海辺の散歩がとても好きでした。誰も歩いていない砂浜を歩く時のサクッとした感触、砂に残された波紋の造形美、色々な貝殻、変化に富んだ流木、侵食された岩肌、優しくはじける波の音、頬をなでゆく風、潮の香り、見渡す限りの海原、それらの全てが日常とかけ離れた、ときめきを与えてくれるからでした。後になってわかったことですが、そこには恐ろしいまでの自然の摂理と、その謎解きの鍵が隠されていたのです。岩と、砂と、貝殻と、流木と、魚の屍とが、それぞれの場所に、それぞれに治まっていたのです。 即ち、砂は砂、貝殻は貝殻、流木は流木で、魚等と、似たものは似たもの同志で集まっていたのです。ニュートンが万有引力を発見したように、誰もが知っている、当たり前から、私は、『同似集合の原理』を知った。あるきっかけから反転錯視を知り、見ようによっては一方向しか見ていない自分に気が付いた。現存する全てを肯定し、全ての常識をくつがえし、この問題に挑むことにした。常識とは、多数であり多数に過ぎない。□

> 無機成因論の根拠としては「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる」「化石燃料では考えられないほどの超深度から原油がみつかる」「石油の組成が多くの地域でおおむね同一である」「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」などが挙げられる。

 「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる」について
生物の分布がおしなべて地球面全体的にあるのに対し、石炭もふくめて石油の分布は特定の地域にまとまって発見されています。石炭においては特に北半球が多い。オーストラリア大陸北部にも油田はあったが、近年のブラジル沖にも油田があったことから、南半球にも目が向けられるようになったのは既知のとうりです。わたし素人は、6500万年前に南極から、地球の90%以上を覆う巨大津波が発生し、ほぼ数波~10波までは北上し、北極に溜まりこんだ海水が今度は、南へ向けて一部の石油成因物が海水とともに逆流した結果がブラジル沖へ溜まったものだとしました。

津波が運こんだ動植物の多くは第一波で運ばれて、おおむねが第二波以降で運ばれた土砂で埋まります。無機質論では、この独自論の「巨大津波で運ばれた」ことが見過ごされています。津波で運ばれた生物たちは、戻り水で河口あたりに成ったものもありますが、大半は津波主流の突き当りか、脇流で流れの弱まったところに置いていかれています。初頭文の浜辺(砂漠)の波打ち際には、『流木と、魚の屍あり』がおおきなヒントになります。

 「化石燃料では考えられないほどの超深度から原油がみつかる」について
極々、近年のシェールガスやメタンハイドレートには考えがまったく及びませんが、石炭の炭層には数百メートルも(?)あるものがあると聞くし、深さもそれ以上もあるでしょうから、南極で数千メートル以上(?)、流れが弱まる赤道あたりで二・三百メートル(?)の津波高かと推定していますから「化石燃料では考えられないほどの超深度」であっても不思議ではありません。巨大津波が運んだものは石油石炭になったものだけではありません。巨大隕石の衝突でできた“衝突飛散体”もあります。なぜ、赤道帯の太平洋海底に大量のマンガン塊やSiO2の分布があるのかに対しては、赤道周囲4万kmを川幅にたとえれば最大川幅となり、流れが弱まる河口の様相を示していると謎解きしました。(この詳細は絶版報告書に^^!)ちなみに、オパールの成分でもあるこの時の溶解したSiO2弾は、海水中でギュと冷やされシマ模様や水晶となったり、中には海水が取り込まれたものもあると聞きます^^。

 「石油の組成が多くの地域でおおむね同一である」について
石油の組成は「おおむね」が同一」であって地域によって差異は当然あります。石油の組成は樹脂や魚脂が主だと思いますが魚の場合は海水のみが考えられますので、インド洋の魚たちが運ばれた中東あたりのものは上質であろうし、雑混するシベリア平原のものは色々なものが混ざると考えられます。要は津波の上流に何があったかによって決まります。そして、石炭と石油の産地はおおむねが隣接しますが、それは石炭と石油の形態の違いからでしょうね^^!。

 「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」について
この件は、惑星衝突論を唱えられている先さまも同意して下さると思いますが、石炭においても同様なことが云われています。「南極大陸は巨大惑星の衝突論」をいっている当方にとっては、その飛散物や生成物が混ざっていても当然だと思います。過去にこの素人論が正しければ「海水のNaCl」が必ず混ざっているとし、そのすじへ送ったことがありますが、いまだに返事がありません。(笑い) 海水の塩分7%? でしたか。それが地表に大量にあるということは安定物質であるから存在しているのであり、石炭や石油の埋蔵地に塩分が含まれていなければ当方の論はなりたちません。「石油の成因はプランクトンの堆積」が云われていますが津波での埋没を考えなければ、石炭や石油になる前に他の生物に捕食されてしまうとするのが中坊の考えです^^。

> ・・・、
> この無機由来説に基づけば、一度涸れた油井もしばらく放置すると、再び原油産出が可能となる現象を説明することができる。また超深度さえ掘削できれば、日本はもちろん世界中どこでも石油を採掘できる可能性があることになり、膨大な量の石油が消費されたとしても、掘削技術の問題さえ解決されれば、石油が枯渇する危険性はほぼ皆無であるとされている。

・・・、^-~???

> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B2%B9#%E7%84%A1%E6%A9%9F%E6%88%90%E5%9B%A0%E8%AB%96

 「涸れ油井、再び産出」井戸水を空に汲み上げて、一晩おくと周りの地下水が染み出てきます。それと同じでは^^?
ずいぶん前の巷(ちまた)説で静岡に油分滲出ありと聞いたことがありますが「相良油田」ありですか^^! 。そして、勇払油田や、表題の「釧路平原に油田あり!」は、極秘でも何でもなく、すでに鉱区が予定されているのですね。石油ショックから30年ちかくも離れていると、色々に探出されているのですね。情報ありがとう御座いました^^。この上は、少し難儀になりますが、<十勝平野のモノ^^>でも捜しますか(笑い)。
 それはそれとして、以前に「アフガニスタン砂漠の砂漠西方に大油田あり!」を('15/3/05付け)石油資源機構や、海外のその方面に送ったことがありました~~!。保管されるとは考えられませんが、私の没後にはプレミアがつくでしょうね^^?(笑い)


> 隕石が落下した際に、マントル層を突き破る可能性があることは、先にもお話したとおりですが、その際に石油の層から、石油が噴出してしまったり、それに引火してあたかも火山噴火のような状態になるということはないでしょうか・・・。

 可能性ありでしょうね。今でもネシアの方では野火から地下の炭層に火が付いたとか、中国では「火カ山」の話しもありますしね^^。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
キシ先生>
色々な情報ありがとう御座いました^^。当方にとって難解なDNA関係をのぞいて、だんだんと持論がかたまってゆくの覚えます・・・。

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[443] アスファルトは、縄文時代の交易範囲を読み解く鍵だったのです。…

投稿者: 荊の紀氏 投稿日:2020年 4月25日(土)10時29分26秒   通報   返信・引用

アスファルトのルーツを求めてhttps://tozai-as.or.jp/roots/
…日本の歴史の礎となる日本書紀には、第38代天智天皇7年(668年)7月「越の国より燃土、燃水を献る」との記録があります。越の国とは、越前・越中・越後を含む広範な地域とされています。当時は、珍しい物品があると天皇に献上するという習慣があり、越の国で採掘された燃える土、燃える水が献上されたようです。
この越の国が、いったいどこをさすのか議論がありましたが、当時の歴史的背景や地政学的な見地から、新潟県胎内市黒川周辺が、日本最古の原油献上地と認定されました。
燃える土についても、石炭と表記する文献があるなど、諸説ありましたが、原油との関係から、アスファルトであることがほぼ確実視されています。
…神事は、油壷(自然に原油が噴出していた湖沼)から油を採取する「献上採油の儀」、採取した油に点火する「点火の儀」、そして火を鎮める「清砂の儀」へと進みます。壷に収められた油は、天智天皇を奉った近江神宮に献上されます。この献上の様子を再現したのが、神事の後に行われる献上行列。白装束を身にまとった越の国黒川臭水遺跡保存会の皆さんが、献上図さながらに行列を作り、燃水を収めた壷と、燃土を収めた行李を運びます。
黒川で採取された原油は天智天皇を奉った近江神宮へと運ばれ、毎年7月7日に行なわれる近江神宮の燃水祭に献上されます。

シンポジウム「えっ!縄文時代にアスファルト」-縄文の生産と流通~東北日本のアスファルト-参加記https://www.isan-no-sekai.jp/report/3925
…天然アスファルトは縄文時代には接着剤・補修材、漆と混ぜて黒色顔料としたり、埋葬の際にあの世に持たせる副葬品ともなりました。今回のデータ集成により、早期後半から利用され始め、中期後半から一般化、特に後晩期で多用され、北海道・東北地方・新潟県を中心に1,148遺跡で出土していることが確認されました。
…秋田県旧二ツ井町駒形の原産地から2.5キロ離れた烏野上岱遺跡で精製工房跡が発掘されると、同様の精製遺跡が新潟県新津油田西隣で大沢谷内遺跡発掘され、縄文人が原産地で採掘・採取し、近隣に工房をつくり土器に入れ、加熱・精製する実態が明らかになりました。また、精製品は土器に小分けされ、編布や笹葉に包み搬出され、消費地の拠点遺跡で保管される実態も明らかになりました。
…各種道具に付着したアスファルトの観察から、形態分析からでは限界のあった、道具の着柄方法や使用法も明らかにしました。有孔球状土製品、土製耳飾り、独鈷石、環石のほか、槍の穂先型石器も「横型スクレイパー」として認定することができました。
さらに、土偶の接合率は三割を超えることを明らかにして、土偶を故意に破壊して再生を願う「土偶破壊説」に否定的な見解をしめしたことも特筆されます。
…採掘場とそれと関連する集落の端から精製工房が発見されています。工房の住居跡からは精製滓と精製した塊が発見されています。特に精製されたアスファルトは小分けにして皮・布・笹・葉などに入れられ、運搬されたようです。さらに、大型土器片をパレットにして上に乗せた塊を熱して溶かしヘラですくい取った痕跡のある土器片も発見され、アスファルト塗布の作業が具体的にとらえられました。
…原産地あるいは精製遺跡から運ばれたアスファルト塊は、川筋とそこから分岐する拠点集落で保管された状態で出土しています。これを川筋や峠、盆地などの地形を追うことで運搬ルートが読み取れるといいます。結果、南北海道から東北地方への海上ルート、青森・秋田県から山形・宮城県へのルート、新潟県から福島県へのルートが想定されます。
なお、県別にアスファルト塊の出土した点数を概観すると岩手県が日本海側の原産地から離れているにも関わらず112点を数え、全体の1/3弱が確認されています。

秋田県産などのアスファルトは北海道を含む東日本各地に流通し、流通経路途中ではアスファルトの分割工房遺跡も発見されている。
アスファルトの産地特定が化学分析により可能となっている。皮袋や土器に入れて運搬・保管された。
縄文の謎 (2) 交易www.ekoko.jp/blog/files/5dfc186c070ff62ee9a80c0e94ffbf1a-64.php
 縄文時代には、現代人の想像を超える規模で日本列島を縦横に物資の移送が行われていた。
 各地の製品・特産品がどのような交換・交易ルールに基づいて流通していたのか、数百年・数千年もの期間にわたって継続した縄文経済の活動基盤となる製品の交換価値がどのように決められていたのか、これが縄文時代のもうひとつの大きな謎となっている。
…縄文時代の文化は東日本が主体の東高西低であり、西日本の方が進んでいた弥生時代の西高東低とは文化の重心が異なっていた。
…石斧にしても縄文土器にしても、その製品の完成度の高さから判断すると、実際に製作するには、適した材料・原料の確保、また場合によっては接着や着色のための特殊材料の入手、加工のための工具・器具の準備、製作のためのそれなりの高度な技巧・技術の習得、十分な作業時間と労働力の確保、など非常に大きな障壁が存在していた。
 自給自足で製作した生活用具は多々あったはずであるが、磨製石斧や縄文土器、漆器、硬玉装飾品などは専業的な作業者の存在とそれを支えるムラの社会組織がないととてもできないような先進製品であった。
 このような製品が作られたムラにおいても、通常の自給自足の生活の遺物も残されている場合が多いことより、通常の狩猟や食料採取などを行いながら合間をぬって製品の製作作業が行われた、と主張する見方もあるが、私は初期の作業兼務時期にはこのようなこともあったとは思うが、縄文時代の全期を通じて専業化が進んだというのが事実に則した見方であると思っている。
… 磨製石斧の完成品1031点・未製品35,812点が発見された、富山県産の磨製石斧は統一的な形状で生産され日本全国で使われた。
… 縄文時代の交易
 縄文人はほぼ日本列島全域に居住域を広げており人種的にもほぼ均一化が図られていたことより、縄文言語ともいうべき原日本語・原アイヌ語が流布しており、他地域のムラとのコミュニケーションは十分に可能な状況にあったと思われる。
 運搬の方法についていえば、人が物を背負って歩いて運ぶ、これが縄文時代の一般的なモノの移送方法であった。また、舟に人と物を積んで河川や沿海を移動することも決して珍しいことではなかった。
 しかし、人や舟が何日もかけて遠隔地に物の運搬を行うことは決して誰にでも簡単にできることではなかったはずである。
 片手間に産地情報を入手し、片手間に舟を作り、片手間に航海術を身につけ、片手間に神津島や霧ヶ峰山麓で黒曜石を採掘し、片手間に重い荷物を長い道のりを踏破して、自分のムラまで運ぶ、ということは極めて困難なことでとても片手間でできることではない。
 舟を操って海上航海を行う人たちもいたはずであり、獣道に近い自然道を見極めながら目的地に到達する道案内人や経験者も必要となる。道中の食料の調達も簡単なことではなかろう。動ける時期も気候の許す期間に限られよう。
 このように多くの専業製作者の労働力を経て生産されたモノを、更に専業の運搬者や交易者やその他の関係者が多大な労力と時間と危険をも費やして他の地域に運び、また、他の場所(やムラ)で産出・生産された原材料や産品を自分のムラに運び込むことを行っていた。
 当然のことながら、モノの流れが定期的に行われるようになると、産品の輸送ルートの途中での中継地(ハブ拠点)や交換・交易を行う場所、すなわち交易市場の機能をもった場所・ムラもできてきたはずである。
 …縄文時代には、ムラに帰属する(製作)専業者が特産品を作り、それをムラに帰属する(流通)専業者が別のムラとの交易を行っていた。
 その交易には少なからず準貨幣としての自然貨幣が使われていた。
 これが私の想定する縄文経済の姿であり、全ての縄文人が全て同じように自給自足の日常活動を行っていたという停滞したイメージの社会ではなく、クニ作りが始まる次の弥生時代につながるダイナミックなムラの動きが始まったのが縄文時代であると述べて、本抄を終えたい。

旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
イスラエル人のルーツが古代日本人だ!日ユ同祖論https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12439161843.html
…旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
…注: 古代日本の海の民(海人族安曇氏)が女系相続とされている。また、ユダヤ教徒の母から生まれた子はユダヤ教徒とされ、やはり女系相続となっている。すなわち、現代のイスラエル人の祖先を女系で遡れば、日本の漁師さんの先祖の縄文時代の海の民(海人族安曇氏)に到達することになる。

…旧石器時代から縄文時代の原日本語は広く東アジアに分布していたのである。そして、2200年前、中国大陸の歴史区分で言う春秋戦国時代の戦乱を逃れて日本列島に渡って来た渡来人(渡来系弥生人)や古墳時代に渡来した秦氏は実は原日本語を喋り、現地の縄文人の原日本語と言葉が通じたのである。完璧に同じではなくとも、容易に融合できる語族の範疇にあったのである。だから、渡来人と縄文人との摩擦が無く、共存出来たのである。
男性遺伝子(Y-DNA)のD2の分布が琉球から北海道に渡る日本列島に限られているが、この遺伝子が日本列島に古くから住む原日本人のものであろうとの説が定説となっている。この遺伝子D2を持った原日本人の言葉が原日本語であり、男性遺伝子O2やO3を持った人々(漢民族や朝鮮民族)が東アジアに広く分布する前までは、D2が東アジアに広く分布していたと考えられる。
日本語の起源https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12197035519.html
…18 旧石器時代から縄文時代、日本列島周辺には山の民と海の民が共存し、交流し、そして通婚していた。彼らの交流から日本語が生まれたのである。
ここでは山の民を縄文人、海の民を海人族安曇氏と呼んでいたが、考古学的には区別が難しく一括して縄文人とすることが多かった。山の民がハプログループD2、海の民がハプログループC1であった。後者の男性の腕は骨太で(参考)、南回りの海沿いのルートでやってきた(参考)。また、この海の民は太平洋を越えて南米のインディオになった(参考)
19 日本語で身体に関する主な12の名詞は上古から1300年程は殆ど変わっていなかった。日本語の方言の観点から見ても、これら身体の名詞は共通して存在し、別の言い換え(代替)は粗無いようだ。日本古来の基本的な名詞と考えられ、日本に旧石器時代からの在来人も渡来人も共通して使用していたようだ(参考)

…わさびを良く使う民族はユダヤ民族と日本民族である。
日本人とユダヤ人、中国の少数民族の共通性、ワサビhttps://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12056114248.html
ユダヤ料理にはわさびが良く使われる。もちろん日本料理にも。ユダヤ人は食物に非常に気を使う。「何々は食べてはいけない」とか。
…③ 雲南省のぺー族がワサビを食する(参考)。ぺー族とチャン族(羌族)の関係は不明だが、チャン族と同族のイー族と接近した地域に生活している。さらに、最近までの日本人の生活とぺー族の生活はよく似ていることを指摘できる。やはり羌族を介した古代からの文化交流があった。
…⑤ ユダヤ人、日本人とチャン族は太陽暦で関係があるhttps://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12055847356.html
…彼ら太陽暦博士やユダヤ人の民の子孫達は皆、卑弥呼の居る邪馬臺国に渡来した。もちろん、逃げ遅れた子孫達は朝鮮半島経由で、年月をかけて渡来することになる!
秦氏のユダヤ人説はこれで説明できる!秦氏全員がユダヤ人であった訳ではなく、一部、紛れて存在した!時期的には景教徒では無く、ユダヤ教徒であった。ただし、彼らを遺伝子的に追跡出来る可能性は難しい(参考)。https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12056644707.html?frm_id=v.jpameblo

アトラス山中のユダヤ人は、先住民族であったベルベル人に言語や生活様式などの多くの面で同化し、ベルベル人ユダヤ教徒として近年まで暮らしていましたが、その多くが、イスラエルの建国とともにモロッコを離れていきました。
ユダヤ人
ベルベル、そしてアラブ以外の1%の中に数えられるのが、外国人、およびユダヤ系住民です。
イスラムの国なのに、ユダヤ人が暮らしているの?と不思議に思う方もいるかと思いますが、モロッコのユダヤ人ははるかローマ時代から現在のモロッコにあたるかの地にコミュニティを持って暮らしてきたと言われています。
モロッコ国内では、ことわざや格言などでお互いに自分の宗教が一番だと言っては競いあい、けちをつけあってはきましたが、パレスチナ問題などにみられるような激しい対立はしないで暮らしてきた歴史があります。

E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があった
アシュケナジイユダヤ人のハプロタイプhttps://ameblo.jp/oyasumipon/entry-12146761873.html
インド・ヨーロッパ語族は、5,000?6,000年前 黒海・カスピ海の付近(現在のウクライナからヴォルガ川の地域)で始まったそうです。
←J2は、メソポタミア文明の農耕民が起原、コーカサス・メソポタミア・地中海沿岸(15000年前頃)。Y-DNA「G」と共に農業革命を興こした先進遺伝子集団。http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm
  また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。
…3) E1b1b1a3(E-V22)系統:  E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)
  ・ E1a(E-M33)系:  西アフリカ   (→ るいネット )
  ・ E1b1a(E-M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南  ・ E1b1a7(E-M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ
          ex) ラムセス3世 E1b1a(E-V38) (・・ 2012 12)、  バラク・オバマ E1b1a(E-V38)
  ・ E1b1b(E-M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる)
          ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E-M35) ・・・  E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない
  ・ E1b1b1a(E-M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E-V12)、 ・ E1b1b1a2(E-V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人
  ・ E1b1b1a3(E-V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島
     ・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。
     ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統)  + J2系統(シリア人)  ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合)  → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合
  ハム系 → シドン人
  ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
  エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる(下に 沖縄のフェニキア遺跡 )
  モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫…
…2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54-60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い
  * また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt-DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。(→ Nature Asia 、 Figure10  (2013 10))


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