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旅先で思ったことなど

 投稿者:c-cat  投稿日:2018年 6月 9日(土)12時00分30秒
  通報 編集済
  ● 海の色のこと

眼下が雲のみの上空からベネチア(ベニス)近郊に近づくにつれ、
ようやく海が見えるようになりました。いわゆるアドリア海の
紺碧(インディゴ・ブルー)の海です。
それから陸地が見えはじめ、豆粒の家並も見えだし、飛行機は
低空になり、着陸地に接近していくと、海の色はしだいに緑味
を帯びて、日本色でいう納戸色(なんどいろ)に変化していきま
した。ベネチアの海は緑色です。

実は三十年ほど以前に、イタリアを廻った旅行でベネチアには
一泊しています。カナル・グランデ(大運河)に面したホテルで、
早朝には狭い迷路のような街中を散歩したことがあります。
細路はほとんどが水辺で行き止まりになり、そこからはボート
で通行しなければならなくなる街のつくりでした。
水辺をぼんやり眺めながら、旅情にひたっていましたが、その
ときには海の色の違いなどは意識にはありませんでした。

南北の国や地形の違い、季節の変化によって海の色がその表情
を微妙に異ならせるというのは、なんとなく当然のように意識
していました。が、今回の船旅で法則のような海の色彩の変化
に気付いたのです。
船が出港し、島影もない遥かに水平線しか見えない洋上の海は
紺碧の青さです。地中海、エーゲ海、アドリア海などの観光用
パンフレットの写真にある真っ青な海です。
しかし、船が上陸地点の陸地や島々に近づくにつれ、濃淡の差
はあるものの、しだいに緑味を帯びていくのでした。
これはなんでしょうね。
船舶の入港出航、停泊、そして陸地の人々の暮らしや動植物の
営み等による物質が流入し、プランクトンなどの増減の変化で
海中の内容が変化していくからでしょうか。
そしてこれは、この地域の海に顕著にみられる特徴なんでしょ
うか。ヨットマンのきー坊はどう思いますか?


● 貧しさということ

日本にもまだまだホームレスの人々が残っていると思います。
しかし彼らが路傍で道行く人にお金を乞う、いわゆる乞食を
している姿は見た事がありません。かつては普通に会社勤め
や家庭での生活をしていた方々なので、いかに困窮しようと、
さすがにそのような恥ずかしい行為はできないのでしょう。

何十年も前ではありますが、パリでもロンドンでも乞食は
見ました。浮浪者といった風袋で、どちらも男性でした。
こんどの旅行でイタリアやギリシャで見かけた乞食はすべて
女性(老婆と母親)でした。
世界遺産に登録された観光地の島の路傍に、母親が乳幼児を
抱いた姿で物乞いをしているのが一種の(職業的)姿になって
いるようでした。

ただ、乞食とは云えないですが、最初に出会った少年の姿は
強く印象に残っています。島の田舎道には信号がありません。
しかし、途中の丁字路でやっと信号があり赤信号で観光バス
は止まりました。対面の赤信号にも数台の乗用車が止まって
います。私が見たのは上半身裸で半ズボンをはいた8, 9歳位
の少年が長いモッブを持って舗道に立っており、停車してい
る車に近寄って話しかけている様子でした。
車の窓を拭くからお金を、と言っているのでしょう。断られ
て道路の中央に歩み寄り、二車線の内側の車に話しかけ、又
断られ、信号が青に変わるやいなや、さっと車を避けて舗道
に戻りました。
親に言われてやっているのか、孤児なのか、その年齢ならば
本来なら学校へ行っている時間ではないのか、慣れた様子な
ので危険はないのだろうが、などと思いました。
その数日後ですが、アテネ観光のためピレウス港に入港する
とクイーン・エリザベス号が入港していました。
船の外観の規模は、私たちの乗っている船とは大差はないよ
うに見えましたが、乗船しているお客はさだめしお金持ちの
人々なのだろうと推測し、同時に、あの窓拭き少年の将来の
ことなどを対比的にふと想ってしまいました。


●エーゲ海とアドリア海のこと

私たちの旅程は、イタリア半島とバルカン半島に挟まれた
アドリア海のクルーズで、途中の島や陸地の世界遺産登録
の観光地点を巡る旅でした。
エーゲ海というのは、ギリシャとトルコに挟まれた海域です。
しかしツアーの名称は「蒼く輝くエーゲ海クルーズ11日間」
となっていました。乗船した他の旅行社の添乗員さんの表示
物もみな「エーゲ海」となっていました。
まったく間違いといえなくもないのは、船旅8日間の中の2日
間のサントリーニ島とアテネは、アドリア海からギリシャの
南端を回り込んでのエーゲ海に位置するからです。
でもほとんどの航海はアドリア海の航路でしたけれどね。
日本人にはエーゲ海のほうが耳慣れており、魅力的な印象が
強いからなのでしょうね。

●バルカン半島のこと

イタリアとギリシャの他に、バルカン半島で寄ったのは、
モンテネグロのコトルという町だけでした。モンテネグロの
国名さえおぼろでしたが、モンテ(山)ネグロ(黒い)という意味
が判ったので覚えました。黒い山とは単純な国名ですね。
でも考えてみれば、日本という国名も良い名ではありますが
やはり同様に単純な国名かもしれません。

お隣のクロアチアのドゥブロブニクも大変人気のある観光地
らしいですが、今回は寄りませんでした。
かつてチトー大統領がまとめていたユーゴスラビア社会主義
連邦共和国は、チトーの死後にあっちこっちで民族間紛争が
多発し、てんでんばらばらに国家が独立して、私にはわけが
わからなくなっています。
大雑把に判ったことは、クロアチア人とセルビア人は犬猿の
仲だと(だったと)いうことくらいです。宗教も言語も異なる。
長州と会津の遺恨は明治維新の話しですが、クロアチア人と
セルビア人の紛争は1990年代のごく記憶に新しい出来事です
から、いまだに尾を引いているらしいです。

いま観光ツアーは、必ず現地人のガイドを付けなければなら
ない決まりがあるそうで、陸路でクロアチアのドゥブロブニク
からモンテネグロのコトルに来るツアーのガイドがどちらかの
現地人なら片方の悪口を言う、と日本人ガイドから聞きました。
モンテネグロの空軍が、紛争の際にクロアチアのドゥブロブニク
を空爆したからだそうです。

バルカン半島の歴史は古代から複雑すぎて、学び直さなければ
私には曖昧模糊としていて理解できていません。
度重なる戦禍や国家民族間の虐殺があり、第一次世界大戦の発火
点であったというくらいのことしか解っていませんでした。
一観光客として、美しいたたずまいの古い街並みを散歩し、高台
にある露天の店のテーブルで冷たい飲み物を飲み、煙草を吹かし
ながら海を眺めている私は、なんとイイ「身分」なんでしょう。
 
 
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